top of page

Home, Sweet Home 

◇はじまりの日

一緒に寮出ない?
コンビニ行かない?みたいな軽い口調で提案してきたのは至さんからだった。
大学を卒業し、MANKAIカンパニーだけでなく他の劇団からの脚本依頼も増えてきた俺と、後輩も増えて任される仕事の量や重責が増えてきた至さん。徐々に板を離れるようになっていったのは同じタイミングだった。
常に笑い声の絶えない仲間たちと暮らす寮を離れることに寂しさはもちろんあったけれど、寮を出たからと言って途切れるような絆ではないと知っている。大して悩むことなく、いいっすよ、と答えていた。

「綴ー、この箱リビングでいいの?」
「あ、それこっちにもらっていいっすか?」
「りょー」
トラックから運び入れた段ボール箱の山を仕分けし、部屋で1つ1つ開けていく。必要最低限の衣類に、日用品、大量に持ってきてしまった書籍の山。それから、どうしても手放せなかった、今までの台本。
タイトルを見ただけで当時の様子が鮮明に思い出す。脚本の内容に悩んだことも、稽古中に演技プランの違いで仲間とぶつかったことも、舞台上でゾーンに入ったかのように役に没入し演じきったことも、幕が降りて大きな歓声と拍手の嵐に驚き、笑いあった日々も。そして、どのシーンでもすぐ傍には至さんの姿があった。
懐かしい思い出に顔を綻ばせながら真新しい本棚にしまい込み、残った段ボール箱もあと僅か。
あれ?そういえば至さんも隣の部屋で片付けているはずなのに、さっきから作業の音がしない。隣の部屋の様子を見ると、案の定何かに夢中で手が止まっていた。
「至さん、何やってんすか」
「あ、やべ」
「あれ、それって…」
至さんの手元には、ついさっき片付けたのと同じ台本。違うところは表紙のサインと中の書き込み、それから台本の傷み具合。俺の台本よりも擦り切れたそれを覗き込む。ロミオ、ジュリアス、ローレンス神父、至さんが演じたティボルトに、俺の演じたマキューシオ。はじまりの物語。

「荷ほどきしてたら出てきて、懐かしくなって読み始めたらついつい止まんなくなっちゃって、」
ニヘ、と笑う至さんの隣に並んで座り、一緒に文字を辿っていく。今読んでみるとまだつたない、たどたどしい物語。だけどこの物語が春組の、MANKAIカンパニーの今を作った。眩しいステージ、満員の客席、やり切った達成感。あの感動は忘れられない。
「この“ロミオとジュリアス”が、俺を変えてくれたんだよね。他人を信じられずに自分の殻に閉じ籠って、ゲーム以外に楽しみがなかった俺に新しい世界を見せてくれた」
「あの時は、至さんに絶対に楽しいって思わせようと必死でしたからね。至さんの涙、今でも思い出しますよ」
「あれは黒歴史だから早く忘れて、マジで」
「無理っすね。あんな綺麗な涙、初めて見たんすよ」
恥ずかしそうに唇を突き出す至さんの表情に思わず吹き出す。そんな俺を見て再び微笑んだ至さんが、俺の左手を握りしめ指と指を絡ませあう。
あの時、この人の手を離さなくてよかった。冷めた瞳の奥に、熱い炎を宿した人。普段はだらしないけれど、悩んでいるときは親身になってアドバイスをしてくれる優しい人。淡い恋心を抱きながらどうせ実らないと諦めていた俺に、愛の言葉をくれた人。
そんな人と、たった二人だけの生活がはじまる。これからはじまる物語。

「今の俺たちもロミオとジュリアスと同じっすね。住み慣れた場所を飛び出して、新しい世界へ飛び出したばっかり」
「そうだね。綴は脚本と生活力がある。俺は…経済力とゲームスキルかな?」
「なんすかそれ」
「俺たち二人なら、きっとなんでも上手くできるよ」
「「そう、二人ならどこにでも行けるさ!」」

自然と重なり合う声と声。それから、笑い声。これは春の日の、はじまりの日。

 


◇なかなおりの日

綴と喧嘩した。原因は些細な出来事。

「この日空けといてって言ったよね?」
「仕方ないじゃないっすか。急に打ち合わせが入ったんだから」
「この前もそうだったよね?そんなに仕事が大事?」
「だからっ!何度も謝ってるじゃないっすか!!」
綴が観たいと言っていた映画の前売券を購入し、一緒に行こうと話していた。いざ公開が始まると同時に綴に脚本の依頼が重なり、綴の休みはどんどん削られていく。やっと空いたスケジュールもリスケになり、今回が公開期間中のラストチャンスだった。
俺も繁盛期のせいで残業や休日出勤が続き、こうして綴と夕食を一緒に取るのも久しぶりだったのに。
「もういいよ、どうせ間に合わないから」
立ち上がった瞬間腕に当たった俺のマグカップが落下し、音を立てて砕け散った。やけにその音が耳に残って離れなかった。

「はぁ~~~…」
喧嘩してから3日。いつもなら翌日にはどちらからか「ごめんね」と謝って仲直り出来ていたのに、今回はお互い忙しく苛々も溜まっていたこともあり、譲歩できずにいる。家に帰っても綴は自室で執筆に取り掛かっているので顔すら合わせられていない。綴不足だ。
仕事をしていても無意識に溜息が零れる。綴の笑顔が見たい。「至さん」って呼ぶ声が聴きたい。
また綴を思い出して小さく溜息が漏れると、後ろから伸びてきた手が俺のデスクにそっとコーヒーを置いた。
「、先輩」
「辛気臭い顔してるな。さすがに煙たがれるよ」
視線だけでちょっと来いと誘導され、コーヒーカップ片手に先輩の後ろを歩く。人気のない休憩所に辿り着き腰を下ろすとすぐ様先輩は核心をついてきた。
「それで?綴と何かあったのか?」
「うっ!…どうして綴ってわかるんですか」
「お前がこんなに落ち込むなんて、綴関連しかないだろ?」
まったくもってその通り。ガチャがドブってもソシャゲのランキングがすごく下がってもこんなにへこむことはない。
「…綴と喧嘩して、もう3日も話せてないんです…」
「ふぅん。それで?」
「それでって、」
「どうせ茅ヶ崎が駄々こねて意地になってるだけだろう?そのままだと綴に愛想をつかされるだけだと思うけど。それでもいいのか?」
…正論過ぎる。大体スケジュールが合わなかったのだって俺の休日出勤が入ってしまったせいでもある。綴一人のせいじゃないのに、リスケされたショックで八つ当たりしてしまっただけだ。
「綴がお前と暮らしていけません、って言って寮に戻ってくるなら、俺もみんなも大歓迎するよ」
「!絶対そんなことになりません!!」
手の中のコーヒーを飲み干し、勢いをつけて立ち上がる。今日はさっさと仕事を片付けて早く帰ろう。そして、今日こそ綴と仲直りをしよう。
「綴にごめんなさいしてきます」
「頑張れよ、茅ヶ崎」
先輩は面白そうに笑っていた。

あの後スイッチが切り替わった様に一心不乱に仕事に取り掛かり、定時になったと同時に退勤した。最近忙しかったから今日ぐらい許してほしい。帰りにスーパーに寄って綴の好きな3連プリンを買っていく。これは別にご機嫌取りではない、いつも綴には感謝しているからそのお礼だ。
家のドアの前につくと緊張で手汗がひどい。一呼吸おいてから開くと、リビングから明かりが漏れていた。
「た、ただいま…」
「……おかえりなさい」
挨拶が返ってきたことにホッとしつつ、キッチンに立つ綴の前にスーパーの袋を差し出しながら頭を下げた。
「っ綴ごめん!忙しくて苛々してたせいで、綴に八つ当たりして、綴だけ悪いみたいに言った。綴だって執筆で忙しかったのに、家事とかも任せっきりで…本当に、ごめん」
暫く無言のあと、綴が俺から袋を受け取って、ふはっと噴き出した声が漏れた。反射で顔を上げると、口元に手をあてて笑ってる綴の顔。あ、この表情見たかったやつだ。
「俺の方こそ、ごめんなさい。俺が観たいって言ったから至さんが用意してくれたのに、調整できなくて…。至さんも楽しみにしてくれてたのに」
「いいよ、俺は別に。俺は綴と出かけたかっただけだし。映画はDVDが出たら一緒に観よ」
それに応えるように目尻を下げて微笑むから、胸がきゅんと甘く締め付けられる。腕を伸ばして目の前の体を腕の中に閉じ込めて、首元に顔を埋める。俺よりもほんの少し背が高くて、日向みたいな香りのする愛しい子。綴も抱き返してくれて、子供をあやすように背中をリズミカルに叩く掌が温かい。ずっと求めていたぬくもりにオキシトシンがドバドバ出てる気がする。あー幸せ。
「それより、この大量のプリンどうしたんすか?」
「ごめんなさいと、いつも俺の面倒みてくれてありがとう的な?」
「こんなにいらないっすよ」

仲直りした今日の夕食は俺が一番好きな綴のチャーハン。食卓には真新しい俺のマグカップ。色違いのピンクとグリーンが仲良く並んでいた。

 


◇ただいまとおかえりの日

 

「綴~……」
駄々っ子の様に背中に張り付いた男をそろそろ鬱陶しく感じながら、2ヶ月前のことを思い出す。あの日も今みたいに俺のことをぎゅうぎゅう抱きしめながら情けない声で事の始まりを話し出した。

「出張っすか?」
「そう。しかも海外に2週間。マジないわー…」
体の中の空気をすべて吐き出すような深い溜息を零し、俺の腹に埋めた顔をさらに押し込みながら唸り声をあげている。正直暑いし重いのでそろそろどいてほしいところだけど、ここまで愚図る至さんも滅多にないのでしばらく好きなようにさせてやる。
話を聞くに、どうも海外で商材の展示会がありそれがメインらしく、展示会に合わせて現地支店での打ち合わせや海外メーカーの視察・商談をいっぺんに行うとのこと。本来であれば至さんの部署はあまり関りがないのだけれど、若手の勉強も兼ねて連れていくことになり、そこに至さんが抜擢されたようだ。と、これだけ聞くと喜ばしいことに思うのだけど。
「別に海外出張は初めてじゃないけど、2週間とか長すぎ。気は使うしゲームの時間削られるしなんにもいいことない」
あのクソ上司禿げてしまえ、と至さんは呪詛のように忌々しく吐き捨てる。せっかくの綺麗な顔が台無しなくらい表情が歪んでいる。いや、この顔はオンラインゲームをしてるときによく見かけるやつだ。
「あ~…でも、それだけ至さんが期待されてるってことじゃないっすか?すごいと思いますよ」
「………綴はいいの?」
「え、俺?」
「俺が2週間もいなくて、寂しくないの?」
表情を覗き込むように尋ねられ、ふむ、と顎に手を当てて想像する。そういえば同棲をしてからどちらかがこんなに長く不在になるのは初めてだ。至さんも俺もたまに出張はあれども長くて2日程度、実家の弟たちも大分大きくなってきたからそこまで頻繁には実家に帰っていない。心配げな表情で俺を見上げてくるけれど、俺ももう良い歳だから1人でも問題はない。
何より、好きな人であり、尊敬できる大人の1人である至さんが他の人からも評価されていることが知れて誇らしく感じる。
「大丈夫っすよ。それより、俺は至さんの仕事ぶりが認められてる方が嬉しいっす」
「綴…」
「俺はなかなか海外とか行けないんで、お土産話、楽しみにしてるっす!」
そう言ってニコリと笑いかけたのに、至さんは少し不満そうな顔をして再び俺の腹に顔を埋めた。どうも俺の回答は『可』は取れたけど『良』まではいかなかったようだ。

そもそも至さんに話が来た段階で断れる筈もなく月日はあっという間に流れていよいよ出発日となり、冒頭に至る。
もうすぐ家を出なければいけない時間だというのに俺の腹に腕を回して「あーやだ、マジ行きたくない。飛行場爆破しないかな」
と縁起でもないことをぶつくさ呟いている。もう荷物は玄関前に置いてあるので、あとはこの人を運び出せばいいだけなのに時間がかかる。
「至さん!いい加減もう出ないと間に合わなくなるっすよ」
「…綴冷たすぎない?2週間も綴と離れ離れとか、俺結構堪えるんだけど」
「離れてても電話とかLIMEとか出来るじゃないっすか。大丈夫、2週間なんてあっという間っすよ」
「はぁ?全然あっという間じゃないし。ってか俺がいないからって浮気とか許さないから」
「そんなのするワケないっすよ!!」
呆れて頭を抱えていると、玄関のチャイムが鳴った。重い荷物を引き摺りながらドアを開けると、久しぶりに見かける”家族”の内の一人が立っていた。
「おはよう、綴。荷物を預かりに来たよ」
「千景さん!おはようございます」
至さんと同じ様にスーツ姿で大きなキャリーケースを携えている千景さんも今回の海外出張の一員の一人だ。千景さん本人から連絡があり、正直ホッとした。至さんにとって気の置けない相手が一人いるだけでも全然違うだろうし、千景さんがいればもし何かあったとしても大丈夫だろうという確信が持てる。
まだ俺の背中に引っ付いたままの至さんを見て相変わらずだな、と呆れながら声を掛けた。
「茅ヶ崎、綴を困らせるな。いい加減諦めろ」
「げ。先輩…」
「綴もこんな情けない相手の面倒をみるのは大変だろう?俺に乗り換える気はないか?」
「ちょっ、千景さん!?」
「はぁ!?いくら先輩でもそれはないんですけどぉ!?」
「至さんっ!耳元で大声出さないでくださいよっ!」
「ならさっさと行くぞ。タクシーも下で待たせているんだ」
さすがの至さんも観念し、渋々といった様子で俺の腹から腕を離しキャリーケースを引き摺る。30分以上拘束されてたせいか体が軽い。先を行く千景さんはにこやかな笑みで「じゃあね、行ってくるよ」と言ってドアの外に消えて行った。
再び二人きりになったところで陰鬱なオーラを出し続ける至さんの頬を両手で掴んでこちらに向け、勢いよくキスを仕掛ける。突然のことに慌てて口を開いたタイミングで舌を伸ばせば、混乱しながらもいつものように絡め、擦り合わせてくれた。
「ん、…ぁ、ふっ…」
「はっ…ん、」
一通り口内を舌先で辿り、向こうのスイッチが入ってしまう前に唇を離す。最後に額にひとつキスを落とし、鼻先が触れそうな距離で囁いた。
「気を付けて行ってきてくださいね。…帰ってきたら、その……続き、してください」
頬をほんのり赤く染め蕩けた表情の至さんに手を振ると、そのままゆっくりドアを閉めた。後で千景さんが至さんの顔を見て胸焼けを起こすかもしれないけれど、これが最善の方法だったんです。すみません。

こうして至さん不在の2週間が始まったわけだけれど、最初の方は普段とまったく変わらなかった。書斎で原稿を執筆をしつつ家事をして、朝イチにかかってくる至さんからの電話でお互いの様子を語り合う。今日はどこに行っただとか、食事はどんなのだったとか、そんな他愛のないことばかり。だけどそんな1時間弱の電話に元気をもらっていた。
1週間を過ぎた頃から、家の中に自分以外の気配がないことに酷く違和感を覚え始めた。そういえば、実家でも寮にいた時も常に自分以外の存在があった。だけど今、自分のタイピングする音や僅かな椅子の軋む音以外無音なことに気付いてしまい、強烈な寂しさに襲われた。
『綴はいいの?俺が2週間もいなくて、寂しくないの?』
「……なるほど。至さんが言ってたことはこういうことか…」
至さんの言葉を思い出し、思わずPC前に突っ伏す。至さんが帰ってくるまであと6日もあった。

それから2日後、俺は久しぶりにMANKAI寮を訪れていた。新作公演のプロットの打ち合わせだ。俺が姿を見せると、咲也や太一たちが「綴くん、こんにちは!」「あー!綴クンおかえりッス~!!」と出迎えてくれる。俺たちが出て行った時と変わらず、温かくて活気のある空間に懐かしさと同時に安心感を覚えた。
「皆木、久しぶりだな」
「綴くんお待たせ!始めよっか!」
「っす!よろしくお願いします」
次に公演をする組やどんなテーマにするか、スケジューリングなどを確認して打ち合わせは終了。どんな内容にしようか頭の中で組み立てていると、監督の視線に気付いて小首を傾げる。
「ん?あれ、まだ話してないことありましたっけ…?」
「…綴くん、最近ちゃんと眠れてる?ご飯食べてる?」
「へ?」
「なんか前より痩せてるし、クマも出来てるし…そんなに忙しかった?」
「いや、そんなことはないと思うんすけど…?」
「至さんは?気付いてないわけないよね?」
「あー…至さんは今、家にいなくて、」
「えぇ!?至さんが!?」

俺の言葉に監督だけでなく談話室にいた劇団員がみんな凄い顔をしてこちらを振り向いてきた。あ、これはなんか勘違いしてる気がする。至さんの名誉を守るために、俺は経緯を説明した。
「そっかー、至さん仕事でいないんだね」
「っす。ま、あと4日で帰って来るんですけどね。…でも、至さんが長期不在になって、改めて一人の寂しさだとか、誰かと一緒に過ごすのってこう、温かいというか、安心するんだなってことに気付かされましたね」
苦笑しながらつい監督の前で本音を零すと、監督が俺の手をぎゅっと握りしめた。
「綴くん。もし寂しいなら、至さんが戻ってくるまでここに泊まっていく?」
「え?」
「102号室、綴くんが出て行ってからそのままだし、きっとみんなも綴くんと話したいことがいっぱいあるよ。どうかな?」
監督の言葉と仲間たちの優しい笑顔が、俺を温かく迎えてくれる。寂しさはきっと感じない。だけど、
「―すみません、やっぱり帰ります」
「えっ、いいの?」
「はい。今の俺の家は、あそこなんです。それに、至さんに言ったら羨ましがられそうなんで」
「…そっか。じゃあ今度は至さんと一緒に遊びに来てね」
「っす!」

家に帰るとやっぱり誰もいなくて。だけど、至る所に俺と至さんの二人の物がある。至さんはいなくても、至さんの帰って来る場所はここなんだと思うと、寂しさが紛れた気がした。
そうして時間は過ぎていき、ようやく至さんが帰ってくる当日。深夜に至さんからLIMEで『夕方には家に着く』と連絡が来てからなんだかソワソワしてしまって落ち着かない。PCで脚本を進めながらも右下の時計を何度も気にしてしまう辺り、俺自身も限界だったんだと気付かされる。早く、時間が過ぎればいいのに―
「…づる、綴、起きて」
「…ん、」
肩に触れる温もりと自分ではない誰かの声に、いつの間にか眠っていた意識が覚醒する。まだふわふわした頭を起こすとぼやけた視界の中に待ち望んでいた人の姿があった。
「…ぁ、いたるさ、」
「ただいま、綴」
俺を見下ろす瞳があまりにも愛しさと優しさで満ち溢れていて。普段だったら気恥ずかしくて視線を外してしまうけれど、今はそれよりも至さんを感じたくてその胸に腕を伸ばした。
「ぅおっ!?え、綴、まだ寝ぼけてる?」
「……そうかも」
「そっか。あ~~~~~~…会いたかった、綴」
「………俺も、寂しかったっす」
自分の言葉に今更恥ずかしくなってさらに顔を埋めると、頭上から息を詰めたような音がしたけど気付かないフリをした。あ、そういえばまだ言えてなかった。ほんの少しだけ体を離して視線を上げる。焦がれていたルビーの瞳を見つめながら、その言葉を口にした。

「おかえりなさい、至さん」

 


◇またひとつみつけた日

 

新規プロジェクトのプレゼンの準備に追われ連日残業が続き、一緒に暮らしている綴とも顔を会わせられていない。ようやくプレゼン会議を終え、無事企画が通ったことに安堵しながらHPもMPも底をついた体を引き摺って帰ると、「おかえりなさい、至さん」、と珍しく綴が玄関までお迎えしてくれたのでその胸元にダイブした。久しぶりの綴の匂いを堪能したくて深く深呼吸を繰り返すと、普段なら恥ずかしがって引き剥がしにかかるのに今日はヨレヨレの俺を労わる様に頭を撫でてくれる。さすが俺の嫁。癒される。
「お疲れさまっす。プレゼン、上手くいきました?」
「もーバッチリ。…あ゛~~~…マジ疲れた」
「家にも仕事持ち帰ってやってましたもんね、今回。無事に終わってよかったっす」
まるで自分のことの様に綻んだ表情を見せる綴が可愛くてほんの少し上にある唇に触れるだけのキスを落とす。たったそれだけで照れたような表情を見せるのも可愛い。100点満点すぎるわマジで。
プレゼン明けの俺のために手作りピザに挑戦してみました、とテーブルに並べられたジャンクフードとコーラに再び俺の嫁最高すぎると感動し、ついでにおねだりして綴に全自動俺を風呂に入れてくれる機までお願いしてみると、あっさり「いいっすよ」と返ってきた。ここまで甘えさせてくれる綴はめったにない、SRじゃなくてSSR。ここはとことん甘えよう。

「かゆいところはないですか~?」
「ないで~す。はぁー…最高」
「ハイハイ。流すんでスマホ一回置いてください」
「へーい」
意外と優しい手つきで頭皮をマッサージしつつシャンプーをされながら、防水ケースに入れたスマホでLPを消費していく。ここ最近全然開けてなかったから時間が惜しい。とはいえ綴に制止されたのでそこは素直に従います。扉を開けて洗面台に無造作に置くと、少しぬるめのシャワーのお湯が髪の毛を濡らしていく。すべて洗い流されるとトリートメントを乗せた綴の大きな手で再び髪に馴染ませていく。手櫛の気持ちいい感覚に思わずほぅ、と息を漏らすと後ろの綴が小さく噴き出した。
「ねぇ、綴も一緒に風呂入ろ?」
「俺は後で入りますよ。今日は至さんもお疲れだし、ゆっくり浸かってください」
「至さんは綴と一緒の方が癒されるんですけど」
目の前のシャワーノズルを掴むと逃げられる前にプリン頭めがけて放水。吊り上がった眉を見てニヤける俺。
「あーあ。濡れちゃったし、風呂入って温まりなよ」
「~~~~っ…っとに、あんたって人は…!!」
結局俺の作戦勝ちってことで、男らしく服を脱ぎ捨てた綴は「明日朝早いんでエロいことしたらすぐ出ますからね!?」と宣言しながら風呂場に戻ってきた。そんな綴を宥めながらお互いに背中を流し合い、浴槽に身を沈める。
物件選びの際に大きい浴槽を一つのポイントに選んだつもりではあったけれど、平均身長よりもデカい男二人が一緒に入るとなるとやっぱり狭く感じる。綴は向かい合って浸かる方がいいらしいが、それだと足が伸ばせないし距離があるから俺は綴を後ろから抱きかかえる方が好きだ。今日も俺が先に入って、綴が正面に回ろうとするから腕を取って先に腰に腕を回してやった。先手必勝は当たり前。
「…これだと至さん重いでしょ」
「俺はこの体勢が好きだからいーの」
「はぁ…」
諦めて力を抜いた綴が俺の身体に凭れてくる。そうそう、これぐらい綴がすぐ近くに感じられるのがいちばん好き。同じ石鹸、同じシャンプーの香りがする頭に顎を乗せる。と、浴槽の縁に乗せられた綴の腕を見てあることに気が付いた。

「あれ?綴、こんなとこにホクロあったっけ?」
「え?あー、これっすか?小さいから見えにくいっすよね」
左肘より少し上に、ポツンとついた小さな黒い点。腕を持ち上げてまじまじと見ていると、そんなに面白いっすか?と笑われる。
「綴ってホクロ少ないよね。顔にもないし、身体もあんまりないし」
「そうっすね。そことか、耳の縁のところとか、」
「俺ここが好き。この二つ星」
そういって腰より少し下、背骨の右側に並んだふたつのホクロの部分をそっと撫でる。すると驚いたように振り返ったからてっきり触り方に反応しちゃった?ってほくそ笑んだのに、綴は俺の顔じゃなくて指が触れている場所―つまりホクロの場所を、身体を捻って凝視している。
「そんなとこにホクロなんてあったんすか?」
「え?知らなかったの?」
「そんなとこ自分で見えないし、それに……そこだと誰かに見られることもないじゃないですか…」
「あー…たしかに」
普段は服の下に隠れ、上半身を脱いだとしてもここだとパンツに覆われている。1mmくらいの小さな点を見つけるとなると、それはつまり触れられるより近い距離で見るしかなくて。
そっか、じゃあ俺が指摘しなかったら綴すらも知らなかったのか。そう思うと自然と口元が緩んでしまう。
「ちょっと、何ニヤニヤしてるんすか」
「ん~?綴より先に俺の方が綴のこと知ってるんだっていう優越感?」
「何すかそれ…」
「他にもあるよ、綴よりも俺の方が知ってる綴のこと。綴のクセとか、機嫌がいい時の仕草とか、綴が気付いてないトロけちゃう場所とか、それからー」
「ちょ、も、いいですって!!」
指折り数える俺を制して照れたのか再び背中を向けて縮こまる綴。ホント、そーいうところが可愛いんだって分かってやってるのかな?こういう照れた時に無意識に出る幼い反応も、俺が知っている綴のクセの1つだと思ってるんだけど。

「さて、そろそろ上がろっか。あんまり長く浸かってたら逆上せるし」
「―至さん、」
立ち上がった俺の腕を掴んだ綴に小首を傾げると、俯いて恥ずかしいような拗ねたような複雑そうな表情をしながら何かをぽつりと呟いた。残念ながら俺の耳には上手く拾えなったので何?耳を寄せると、
「俺も、至さんが気付いてないホクロを見つけたいっす…」
なんて言うから、思わず片手で顔を覆って深く息をついた。たまにこういう爆弾を落としてくるのだから堪らない。積極的な綴なんて久しぶりだ。もう好きにして。むしろ大歓迎です。
「…いいよ。ベッドの中でくまなく探してみな?」

相手の新しい一面を見つけるたびに、どんどん好きになって、もっと貪欲になっていく。こうして俺は、今日も綴の沼の奥深くに落ちていくのでした。

 


◇まんかいの日

 

3月の最終週、日曜日の正午。普段なら休みの日は昼近くまでダラダラとベッドの中で微睡んでいる至さんも今日は既に忙しなく動き回っている。
今日は俺たちにとって大切な日。久しぶりに家族が一堂に会するのだ。

「至さん、リビングの片付け終わりましたかー?」
「んー、あともうちょい…かな?」
「いや、あともう少しでみんな来ちゃうんすよ!?さっさと手を動かす!!」
キッチンから指示を出しながら手を動かしていると、インターホンが来訪を知らせる音を鳴らす。至さんがハイハイと玄関まで向かうのを追って廊下を駆けると、ドアを開いた先に満開の笑顔が咲いていた。
「至さん、綴くん、こんにちは!」
「ガサ入れに来たヨー!!」
「ガサ入れとか物騒過ぎ」
「茅ヶ崎、綴、邪魔するよ」
「ん。みんないらっしゃい」
「どうぞ入ってください」
咲也、真澄、シトロンさん、千景さん、そして至さんと俺。春組の同窓会、もとい家族会が開かれるに至ったきっかけはついこの前まで行われていた春組の新作公演だ。
たまたま公演を観に行った日に示し合わせたかのように元春組が全員集合し、楽屋で話すだけでは短すぎるということで改めて集まろうとなったのが今日。
個々に会うのは久しぶり、という訳ではないけれど全員が集まるのは半年以上期間が開いていたのでこの空気感が懐かしい。

「あ、コレ!臣さんからの差し入れです」
「ありがとう、咲也。伏見さんの料理なんて久しぶりだなー」
「あとこれ、東さん経由で取り寄せてもらったお酒とかも持って来たよ」
「さすが先輩。とりあえず冷やしときますね」
お互いに持ち寄った料理や飲み物をテーブルの上に広げて、それを囲むようにそれぞれ席に着く。なんだか数年前に庭でやったピクニックみたいだな、なんてふと思い出した。全員にグラスが行きわたったところで、少しだけ緊張した顔をした咲也の乾杯の音頭で会は和やかにスタートした。
「なんだか、こうして全員が酒を飲める歳になったなんて今でも信じられないな」
「それこの前の集まりの時も言ってましたよ、おじいちゃん?」
「痴呆症」
「オー!深夜徘徊はダメダヨー!!」
「真澄とシトロンはともかく、茅ヶ崎に馬鹿にされるのはムカつくな」
「相変わらず俺にだけ辛辣すぎ」
「わわっ、喧嘩はダメですよっ」
このやり取りが寮にいた時とまったく同じで、出会った頃からもう6年も経っているのに変わらない空気か心地いい。たまにツッコミを入れつつも、自然と笑ってしまう自分がいる。

「そうだ。咲也、真澄、改めて春組公演お疲れ様」
「ありがとうございます!今回は俺と真澄くんが主役と準主役で…なんだか、ロミジュリの時を思い出しました」
「あの時は大変だった…」
「今回のサクヤとマスミも息ピッタリだったヨー!!ワタシも出たかったネー…」
今回の春組公演は主人公が過去を振り返りながら大切な人との別れをテーマにした少しセンチメンタルな内容にしてみた。それを表現するにはフレッシュな新人団員をメインに置くよりも舞台経験も多い咲也と真澄をメインにしたいと監督と相談した結果決まった配役だ。シトロンさんはザフラ王国の方で式典の執務が重なったため、今回は出演が出来なかったそうだ。
本番の舞台で過去の楽しかった思い出と現代の寂しさをしっかり演じてみせた二人の演技を見て、やっぱりこの二人にしたいと相談してよかったと心からそう思った。
「今回の脚本は春組にしてはしんみりした内容だったよな?」
「でも、ラストに新しい出会いを予感させる希望で終わるのは綴らしいなって思った」
「オレも今回の台本を読んで、胸がギュってしたんですけどちゃんと演じたいって思いました。やっぱり綴くんの書く台本はすごいです!」
「ありがとな、咲也。他の依頼だったら色々指定されることが多いけれど、MANKAIカンパニーは俺の書きたいものを書かせてくれるから、悩むこともあるけどいちばん楽しく書けるっすね」
他の劇団や映像関係の依頼があっても、いちばんに優先するのはもちろんMANKAIカンパニー。いまだにどの公演の脚本も担当し、監督や左京さん、劇団員のみんなもテーマや要望を聞くことはあっても、仕上がった台本が大きく修正されることは滅多にない。どんな話でも受け入れて、最高の舞台にしようと一生懸命向き合ってくれるのは感謝でしかなかった。
今は板を離れてしまった千景さんも至さんも、毎回公演は観に行って舞台に出ていない俺にも感想を教えてくれる。あの部分が良かった、あの伏線は驚いた、綴らしい話だね、と。そして春組公演の時は特に、口を揃えて最後にこう付け足す。

「……また、このみんなでお芝居がしたいですね」
「そうだな、咲也たちの芝居を見る度に思うよ」
「イイネー!タイマンACTで新人イビリするヨー!!」
「ちょっ!それはかわいそうっすよ!!」
「あいつらの刺激になって丁度いい」
「真澄までそんなこと言うなよ!!」
「じゃあその時は、俺たちにあて書きで最高の脚本を書いてくれるよね、綴?」
至さんの言葉に、みんなが俺をじっと見つめる。その表情は期待に満ち溢れていて、その期待に応えねばと燃える。片方の口角を上げて、5人に向かって宣戦布告をしてやった。
「仕方ないっすね。今までいちばん面白かったって言われるような最高の脚本を書きますよ。その代わり、ちゃんと芝居で返してくださいよ?」

その後も酒とつまみを片手にうだうだと語り、途中から至さんとシトロンさん主催のゲーム大会が行われたりとはしゃぎ回り、あっという間に時間は夜を迎えていた。名残惜しさを感じつつ4人を外まで見送り、また至さんと二人だけになった。
「―綴、ちょっとだけ寄り道して帰らない?」
「?いいっすよ」
珍しい至さんからのお誘いに、二つ返事で了承する。マンションから歩いて数分、近くを流れる川沿いには丁度見頃の桜が連なって生えている。至さんがこのマンションに決めた理由のひとつに、窓からこの桜並木が見えたこともあったそうだ。
夜も遅い時間だからか花見客の人はまばらで、その中を特に会話もなくただのんびりと歩く。多分昔なら気まずくて何か話しかけていただろうけど、今はこの静かな時間も心地いい。さっきまでの喧騒が遠い昔のようだ。
と、隣を歩く至さんが俺の方を見ていることに気付き、何?と声に出さずに問いかける。感情が見えない時の至さんの顔は、出会った頃と変わらず綺麗な顔をしている。

「今日、久しぶりにみんなと会ってさ…劇団に、MANKAI寮に戻りたいって思った?」
「寮にっすか?」
「今日の綴、すごく楽しそうだったから。やっぱり、みんなと一緒の方がいいのかなって」
あぁ、拗ねるんじゃなくて寂しそうに言うんだからタチが悪いなとつくづく思う。変なところで自信がなく、臆病なところがあるこの人はたまに素直に言ってあげないと伝わらない部分があるのはずっと前から熟知している。
「確かに、今日は楽しかったっすよ。久しぶりに家族全員揃ったし、こうして長い時間一緒なのもいつ振りだろうって感じだし」
「…そっか、」
「だけど、俺の帰る場所は、至さんと二人のあの家なんです。俺は、今の生活で結構幸せだと思ってるっすよ?」
その瞬間、目の前の目が見開いて、揺れた。もしかして泣くやつか、コレ!?と一瞬身構えたが、至さんもグッとこらえた表情をしている。それから急に俺に背を向けて再び歩き出すと、前を向いたまま至さんが話しかけた。

「もうすぐさ、引っ越して3年目になるじゃん?」
「あー、そうっすねぇ」
「正直言うと、俺3年も誰かと二人だけで暮らせると思ってなかったし、まず付き合って5年も経つとか自分でも驚いてる」
「それ、本人に言います?」
「だけどもう、綴が一緒にいない生活なんて、俺の中では考えられないんだよね。だから、」
「だから?」
「…コレ、もらって?」
後ろ手で渡された握りこぶしの中には、いかにもなベルベット調の小さな小箱。恐る恐る受け取って中を開けると、シンプルなプラチナの指輪。街頭に照らされたそれは、夜の街の中でひときわキラキラ輝いているように見えた。

「―至さん、」
「…なに?」
「こういうの渡すなら、せめて俺の方向いて渡してくださいよ?」
「無理。緊張するし吐きそうだし綴の方向いたら絶対泣く」
「なんすかそれ」
まだ頑なに俺に背を向けたままの至さんに苦笑しつつ、左手で至さんの右手を握る。驚いたように弾んだ肩を見て小さく笑いながら、至さんにだけ聞こえる声で囁いた。

「じゃあ帰ってから、ちゃんと正面を向いてもっかい渡してください。だから早く帰りましょ?俺たちの家に」

満開の桜が夜風に吹かれてはらはらと舞う。至さんに出会ったのも、一緒に暮らし始めたのも、桜が咲く春だった。
俺と至さんの物語は、これからもまだまだ続く。何度でも、満開の桜を二人で見続けよう。

 

まずは至綴同棲企画という素晴らしい企画に参加できて嬉しく思います!

企画してくださりありがとうございます!!
今回は「同棲」がテーマということで、

二人の日常を切り取ってオムニバス形式にまとめてみました。
当社比ですごく甘々になってしまいましたが、愚図る至さんとホクロを探し合うマニアックな話が書けて満足しております。(笑)
今から他の参加者の皆様の至綴作品を拝見するのが楽しみです!至綴に幸あれ~~~!!

 

mico

bottom of page