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おうちにかえろう

 皆木綴、二十五歳。只今とある問題に直面しています。
 
 ***
 
 至が雑務をこなして帰宅するのは少し古ぼけた三角屋根の大きな家、ではなくとある駅に近い高層マンションだ。ここに住み始めてから三年。思えば早いものだ。
 綴と至が付き合い始めたのは出会って半年ほど立ったころだった。劇団の借金を返済し終えて一息ついたくらいだ。その時のあれこれは今は置いておこう。まあいろいろあったのだ。至は自慢ではないが他人への関心が薄い。それは恐らく他人から関心が自分にとって煩わしいものでしかなかったからだろう。そんな至が恋をして、思いを通わせあえたことがどれほどのことなのかは至が一番よく理解していた。きっとこの思いは一生ものに違いないと、付き合って直ぐに貯金を始めていたのだから相当だろう。ちなみにこのことは綴に同棲を申し出た時にカミングアウト済みである。至は呆れつつも幸せそうに泣き笑いした綴を忘れることはないだろう。
 閑話休題。馴れ初めはこれくらいにしておこう。綴が大学を卒業するのを機に始めた同棲は順調と言える。喧嘩が無いとは言わないが、お互い実家以外の逃げ場所兼相談場所があるおかげかさほど長続きはしない。どちらかというとラブラブだ。今日だって、週末なのをいいことにあれやこれやを期待した至の手元には薬局の袋がぶら下がっている。浮かれた様子を隠しもせず至は二人の名前が掲げられた横の玄関を潜り抜けた。
「つづる~。ただいま~」
 いつもなら至が声をかければすぐに出てきてくれるのに綴のお迎えがない。もしやまた倒れているのではあるまいな。綴の仕事は脚本家だ。ありがたいことにこの三年の間に彼もそれなりに名が知られるようになった。いまではMANKAIカンパニーの脚本だけでなく他劇団からも声がかかり、最近は書籍化の話なんかも出ているらしい。その辺のさじ加減は千景や左京、あと綴の友人なんかがサポートしてくれているらしいので無理なスケジュールではないはずなのだがこの男、定期的にぶっ倒れる。普段はそれを見越して先に寮の方に押し込むのだが時折こちらで屍と化しているのだ。しかしおかしい。聞いた話ではそんな予定はなかったはずなのだが。至は訝しみながらも答えが待っているだろうリビングへと足を進める。
 
 リビングは真っ暗だった。カーテンから漏れる月明かりが唯一の光源だ。その中で一際大きな影がソファの上にぼんやりと浮かんでいた。至は声をかけながらも扉横にあるスイッチで明かりをともした。パッと明るくなった視界に驚いたのか色付いた影がピクリと肩を浮かせる。
「……綴、ただいま」
「あ、えと、おかえりなさい。」
 影の正体は綴だった。どこかぼんやりととしつつも振り向き返事を返した綴に至は胸をなでおろす。ゆっくりと至は綴の方へ向かう途中、あるものが目に入った。クリーム色に金文字が箔押しされた薄い冊子。テーブルに置かれたそれに血の気がざっと下がる気がした。
「つ、綴さん……、それ……」
「あ~、至さんの部屋にゴミとりに行ったら見つけちゃって……」
「違う‼ 違うからね‼ それは上司にどうしてもって渡されたやつで……!」
「大丈夫です、分かってますんで」
 綴の前に置いてあったのは数日前に至が上司から押し付けられた見合い写真であった。至の会社での認識は結婚はしていないが同棲中の恋人はいるというものだ。当然至の上司もそのことは知っていた。しかし会社のありがちな縦のつながりというものは厄介なもので、上司としても更に上からの頼みを無下にはできなかったらしい。「とりあえず受け取るだけ受けとってくれ。後は自分がとりなすから」と頼まれてしまえば世話になっている手前、至も断れない。受け取るが会う気がない、それ以上は当然有り得ないと伝えて渋々持ち帰りゴミ箱につっこんで解決した気になっていた。
 至は俺の阿呆‼ と心の中で数日前の自分をタコ殴りにしつつも綴に必死で弁解する。それに対し綴は返事はするも心ここにあらずといった様子で「もうこんな時間! すみません今から作りますね」と返事も待たずにキッチンへと行ってしまった。その日の夕食は冷凍ご飯の炒飯とわかめと卵のスープだった。
 それから数日、綴の様子は変わることなくどこか上の空で家事の凡ミスも増えた。まあその程度なら至にフォローできる範囲だったりするので何も問題はない、むしろ自分が手助けできる要素が増えて喜ばしいくらいなのだが如何せんきっかけがきっかけだ。しかし、綴がそれを話題に上げない以上変に蒸し返して綴を傷つけることだけは避けたい。至に取れる手段は待ちの一手のみだった。
 
 ***
 
 一方綴は悩んでいた。それはもう悩んでいた。きっかけはとある冊子。それを見てしまってからあることが引っかかって離れない。だからといって、それを解決するための手段を自身は持ち合わせていないのだ。
「……やっぱりこういう時は一人で悩んでてもしょうがないよな」
 綴はスマートフォンを取り出してとある人物に連絡を取る。それは自身と至のことを一番よく知る人物だ。
「やあ、久しぶりだね」
「いや、この間稽古で会ったばっかりでしょう」
 しれっとした顔で出まかせを言うのは春組の最年長、卯木千景だ。彼は綴に相談があると言われてわざわざ時間を作ってくれた。
「それで、相談って?」
「えーっとですね、かくかくしかじか」
「それで伝わるのは物語の世界だけだね」
 まあだいたい把握はしているけれど。そう独り言つ千景は飄々とした笑みを浮かべながらもどこか心配そうだ。この顔をさせているのが自分だと思うと心苦しくなる。綴は念のため経緯を話し、本題に入ることにした。
「多分至さんは俺がお見合いのことで悩んでるんじゃないかって思ってそうなんですけど、そうじゃなくて。いや、ある意味そうなのか?」
「と、言うと?」
「俺も至さんも結婚できるんだなって」
 綴の言葉に千景は理解し難い顔をした。それも仕方ないのかもしれない、千景の中で二人は既に夫婦も同然だ。綴は更に言葉を続ける。
「俺、至さんに一緒に暮らそうって言われてめちゃくちゃ嬉しくて、深く考えずに了承しました。お互いの親にも一応挨拶はしましたけどあくまで同居人としてで……。それで幸せでしたし、満足もしてます。でも、あのお見合い写真見てから俺たちの関係を整理していったら何にもないなって。恋人以上婚約者未満? って感じっすかね。」
 とつとつ綴が語るのは決して悲嘆ではない。今までずっと頭の中で悩んでいたことを声に出すことで整理していっているという様子だ。千景は綴の言葉を遮ることなく黙って聞き役に徹していた。
「それが悪いとは思ってません。でもこの状況に落ち着いてしまったのは俺のせいなんだろうなって。俺の覚悟のなさというか考えの甘さみたいなのが至さんには何となくバレてたんだと思います。あの人余計なところで察しがいいから。その証拠にマンションも賃貸です、あれだけ計画的に俺のこと囲い込んだくせに。……きっとあの人は俺に逃げ道を作ってくれていた。それが至さんの優しさだっていうのは分かってます。それにあの人臆病だから至さんへの逃げ道でもあったんだと思います。でもそれが俺は気に入らない。俺がずっと至さんの隣で生きていくんだって信じてもらえてなかった。そのことにあの日、あんなものを見るまで気づきもしなかった自分が何より気に入らない……!」
 話しているうちに感情が高ぶってしまったのだろう。綴は一呼吸おいて自分を落ち着けるためか手元のコーヒーに口をつける。それはしばらく放置されていたせいで冷めてしまっていた。
「……なるほどね、まあ茅ヶ崎らしいと言えばらしいか。それで? 綴はどうしたいの?」
「ずっと考えていることがあって、でも俺だけだとなかなか難しいんです」
 ――協力してもらえません?
 
 陰のあった綴の顔はまるで脚本を書いている時のようにいきいきとしていた。
 
 ***
 
 至の機嫌はすこぶる悪かった。ある日から綴の表情は明るくなった。悩み事が解消されたらしい。それは良かった、心から喜ばしい。しかし、それと引き換えにとある問題が浮上した。何やら綴が隠している様子が見て取れるようになったのだ。まず日中出かけるようになった。綴は普段からネタのためにといくつかバイトをしていたが、学生時代と比べればその時間は格段に減った。それなのにまるで当時に戻ったように朝から晩まで出かけている。一度それとなく尋ねてみたが笑ってごまかされるばかりで明確な答えは聞いていない。聞けなかった、というのが本当のところで。もしかしたら綴が自分のもとを離れる準備をしているのかもしれない、そう思うと問い質すための言葉が喉の奥に引っ込んでしまうのだ。
 至は綴を愛している。この先もずっと愛し続けていくと確信している。でも、綴がそうなのかは至には分からない。分からないから、綴が出て行かないように、離れていかないようにとどうにか囲い込むしかない。……それに大きな穴があるだなんて随分前から知っていた。
 至は自宅の扉の前に立つ。外から見た様子からは人の気配はしない。一応インターホンを押してしばらく待つ。やっぱり綴が出てくる気配ない。ため息をついて至は鍵を差し込む、が……回らない。もしやと一度鍵を引き抜いてドアノブを回すとかちゃりと音を立てて扉が開いた。
「綴……いるの?」
 恐る恐る中に入り声を掛ける。しかし応えは返ってこない。
 これはまた倒れているパターンか? 最近忙しそうにしていたし可能性は高い。鍵が開いていたことは気にはなるが、綴にだってうっかりはある。自分に言い聞かせるように言い訳を並べて歩みを進める。リビングに到達したがいつかのように綴の影はない。それは明かりをつけても同様だった。
 
 ……自室にいるパターンだろうか。
 
 それから綴の部屋、寝室、至の部屋、と順々に見ていくがどこにもいない。段々と至の心臓は嫌な音を立て始める。まさか……そんな。よくない考えばかりが頭を巡り反射的に玄関に向いたところで至は見つけてしまう。下駄箱の上にあるのはマーリンモチーフのキーホルダーが付いた家の鍵。至が綴にこの家の鍵を渡したときに付けていたものだ。嫌な予感が的中してしまった。至は膝から力が抜けその場にへたり込んでしまった。明るいはずの我が家がひどく冷たいものに感じる。信じたくない現実に頭が目の前が真っ暗になった。
 
 それからどれくらいの時間がたったのだろう。扉が無造作に開いた。
「あ~、やっぱり忘れてたか……って至さん? そんなとこで何してるんですか?」
「つづる……?」
「なんすかその反応。綴ですよ~。……へ? ちょっ、至さん⁉」
 目の前に綴がいる。自分と会話を交わしている。自分と綴の住居であるこの場所で。諸々の事実が至を安堵させ、涙という形で表された。綴はと言えば帰宅したらワンワンと泣き出した三十路に戸惑うばかりだ。とりあえず、泣き止ませることに全力を注ぐこと数十分。ぐしぐしと鼻をすすってはいるがどうにか落ち着いたようだ。しかし、至は綴に正面から抱きつき離れようとはしない。仕方がないと綴は無理矢理立ち上がりずりずりと至をソファまで引きずっていった。
「落ち着きました?」
「うん……」
 暖かいお茶をすすりながら至は言葉少なに返事をする。綴は今の状況をいまいち理解しきれていない。どうして至が泣いていたのか、ここまで落ち込んでいるのか、それを問う必要があった。
「それで? どうしたんですか?」
「……帰ってきたら、鍵が開いてて。それなのに真っ暗で、どこ探しても綴がいなくて。」
「……それで?」
「いないから綴を探しに行こうって玄関に向かったら綴の鍵が置いてあって、っ、綴、出て行っちゃったんだって……!」
「……へ?」
 至の突拍子もない思考に綴の頭は追いつかない。綴が黙っているうちに至は更に自分の胸中を告げた。
「綴が、お見合い写真見てからなんか変だったのに、俺何にもできなかったし。吹っ切れたのかと思ったらなんか出かけてばっかだし、帰ってくるの遅いし、俺と、全然話してくれないし!」
「いや、毎日話すようにはしてたじゃないですか」
「そんなので足りるわけないじゃん! 前ならもっと話して、一緒に映画見たり、お風呂入ったりってできたのに……。綴が足りない……。」
 これは困った。知らぬ間に随分と至に寂しい思いをさせていたらしい。綴が何か言う前に更に至は言い募る。
「ずっと不安だったんだ。綴がいつか離れちゃうんじゃないかって。だから早いうちに同棲して囲い込んで、そうすれば綴は離れていかないって。……でも俺が綴の足枷になるのも嫌で、だから」
 じわじわと溢れ出す涙が零れそうになったのを綴は黙ってみていられなかった。腕を引き、至の頭を抱きかかえる。
「至さんもういいんです。俺はずっと至さんと一緒にいます。」
「本当に?」
「本当です。すみません、そんなに不安がってるとは思わなくって」
 ―― 今度は俺の話を聞いてくれますか?
 
 綴の優しい眼差しに至はゆっくりと首を縦に振った。
 
 ***
 
 話をすると言った綴は至の腕を引きマンションの外へと連れ出した。泣き疲れた至は抵抗することなくされるがままだ。しかしその顔には困惑が浮かんでいる。
「……つづる?」
「ちゃんと話しますから、そんな不安そうな顔しないでください。」
 至の前を歩いていた綴は振り向きざまにくすりと笑って安心させるように手を握り直す。いつの間にか綴の手は至の腕から離れ手と手が絡み合っていた。至がそれを握り返すと更に笑みを深めまた前へと向き直った。
 それからぽつりぽつりと語られたのはきっかけだったあの日からこれまでのこと。
「あの頃の俺は大学卒業して、これでようやくあんたと対等だって浮かれてたんです。だから大事なことを見落とした。そのことにあの日あの瞬間まで気付かなかったんです。それが死ぬほど情けなくて、自己嫌悪して。」
「そんな! それは俺が勝手に!」
「その勝手に気付けなかったことが情けないんですよ。やっと支えられるようになったと思ってたのに、結局は至さんに守られてた。だから、これは俺なりのケジメです」
 綴が立ち止まったのはとある家の前だった。色褪せた塀に囲まれた寂れた一軒家。壁にはどこから這ってきたのか所々に蔦が巻き付いている。綴は握っていた手をすっと離し迷うことなく中に進む。至は一瞬途方に暮れて仕方なく綴の後を追った。玄関は金属製の古い引き戸だ。開くときにガタガタ音を立てつっかえた。玄関をくぐるとたたきになっていて階段代わりに平たい石が置いてあった。綴はそこに靴をそろえて置いて、これまた迷うことなくスリッパを取り出した。至はこれ以上ないというほど訝しげに綴見上げる。それを受けた綴は肩をすくめるだけで応えることはない。至のスリッパを準備すると背中を向け奥に進んでしまった。至はこの上なく混乱した。今の状況が全く理解できない。
 至にできた選択はスリッパを履くことだけだった。
 綴を追いかけて分かったことはこの家はテレビなんかでよく見る日本家屋だということだ。襖で区切られた畳の部、とフローリングとどこか違う板の間、掃除のしにくい派手なタイルのキッチンに床の間まであった。広くない家の中を無言でぐるりと回り最後にたどり着いたのは荒れ果てた庭に面した縁側だった。
「ここね、三か月くらい前まで一人暮らしのおじいさんが住んでたんです。」
「へぇ……って三か月⁉」
「俺も最初そんな反応しました。一応これでも掃除したんすよ?」
 ここまで見てきた部屋たちはどこもかしこも古びていて三か月前まで人がいたなどと至は到底思えなかった。しかも掃除をしただと? 信じられない。そんな至の態度に綴は笑った。
「そのおじいさんは遠方の息子さんと住むことになって、そこで困ったのがこの家の始末です。大事な家ではあるけれどもう人が住む予定もなければ建て替える予定もない。土地の運用も面倒だって人らしくて」
 この家に住んでいたであろうご老人の話を綴はつらつらと並べ立てた。もう何度目か分からないが、至は困惑するしかない。これと今までの綴の態度にいったいどんな関係があるというのか。
「というか、そういう人を千景さんに頼んで見つけてもらったんですけど。それでね、至さん。そのおじいさんはこの土地を家ごと手放したがってまして。なんと、俺が譲り受けることになりました。」
「はあ⁉」
 いよいよ訳が分からない。綴はおじいさんで? 家を譲って? 違う綴はじいさんじゃない。そうじゃなくて、
「譲り受けた⁉ この家を⁉」
「と土地を」
「どうやって⁉」
「どうって、お金払って」
 家がボロボロだからって大分まけてもらいました。なんてぽやっとした顔でのたまう男に至は頭を抱える。土地だと? 都心から外れているとはいえ一応仮にも首都圏だぞ‼ いくらすると思ってるんだ⁉
「一応言っときますけど一括払いしたわけじゃないっすからね? これから何十年かけての分割払いっすよ」
「知ってるよ! お前そんな金あるなら家族にとっくに注ぎ込んでるじゃん‼ じゃなくて、何で急に……」
「言ったじゃないっすか、ケジメだって」
 綴のその言葉に至の喉の奥がヒュッと鳴る。
「あんたは俺との新居に賃貸を選びました。いつ俺と別れてもいいように。なら、俺の覚悟を示すにはこれが一番手っ取り早いでしょ」
 
「逃がす気なんてありませんよ」
 胸を張って断られる事なんてあるはずがないと言うように綴は言い切った。いや、断らせる気がないのか。至はその場にズルズルと力なくしゃがみ込む。若い恋人を前にして不安になった俺は臆病な予防線を張った。確かに張ったが、それをひっくり返すために家を土地ごと買うなんて誰が思う。恐らく綴の雰囲気と頼った相手を鑑みるに破格と言っていい条件だったのだろう。それでも、あの綴が十年単位のローンを組むだなんて。しかも自分のために。整理していくごとに背中にずっしりとしたものがのしかかる。なんてことをさせてしまったんだ。
 落ち込む至の前に綴がしゃがみ込んだ。
「至さんに相談なしに決めたのは悪かったって思ってるんすよ? でも、俺ここが良くって……」
「あ~、なんかもうキャパオーバーで……、どっから突っ込めばいいんだ……」
「ここ、俺の家と至さんの家の丁度真ん中くらいでMANKAI寮も近いし、駅はちょっと離れてますけど至さん、車だからあんま関係ないでしょ」
「続けるんだ……もう好きにして」
「ここに初めて来たときね、未来が見えたんです」
 少しだけ綴の声のトーンが変わった。それにつられ俯けていた頭をゆっくりと上げる。
「居間には至さんのゲーム機が転がってて、寝室の襖の前には至さんの背広がぶら下がってて、キッチンには俺と至さんの非常食が積んである。床の間には季節の花の代わりに俺が貰った賞状とか飾って、客間には春組のパジャマなんかが置いてあって。それでここに、至さんと二人で座って昨日のこと、今日のこと、明日のことを話すんです。毎日、毎日話すんですよ」
 綴の声が震えてぱたりと水滴が床にはねた。
「おれ、そんな未来がいい。至さんと、ずっと一緒にいたい。」
 ぽろぽろと涙を流す綴は震えるその手でゆっくりと、力強く至の手を握る。
「いっしょにいてよ」
 綴がわがままを言うことはあまりない。そんな綴が今必死で言い募っている。人生で一番のわがままを。それに応えないでどうする。至は握られた手をグッと引いてその腕の中に綴を抱き寄せた。
「いるよ、ずっと一緒に」
 格好良く決めたつもりのそのセリフは、情けないことに震えて濡れていた。好きな人が全身で自分を求めてくれることがこんなに幸せだなんて知らなかったのだ。至に応えるように綴の腕は背中に回された。
 
 それからどれくらいたっただろう。二人の鼻が詰まり、まぶたが重くなってきた頃に至が重たい口を開く。
「ていうか、何してくれちゃってんの?」
 重たさに見合った低い声に至の腕の中で綴は震える。綴からしてみれば至の怒りはもっともだ。勝手に黙って家を買うなど本当の夫婦でも許されない事案だ。離婚されても文句は言えない。至はさっき一緒にいてくれるとは言ったがそれとこれとは話が別ってやつだろう。叱られるのが怖くて目の前にある体にしがみつく。
 一方しがみつかれた至は悶えていた。可愛い恋人が可愛いしぐさですり寄ってくるのだ、可愛くないはずがない。しかし、これだけは言っておかねばならない。心を鬼にしてしがみつく綴をひっぺがす。やめてくれ、そんな絶望したような目でこちらを見ないでくれ。罪悪感をチクチク刺激されながらもどうにか言葉を紡ぎだす。
「えーっと、俺と綴は男だし、そこまでこだわることじゃないのかもしれないけどさ。やっぱりこういう事は俺がやりたかったというか」
「……はい?」
 引きはがした勢いとは裏腹に、弱々しい要領を得ない至のセリフに何を言われるのかびくびくしていた綴は首を傾げている。その間も至はあーだのうーだの鳴き声を発し、人の言葉を発そうとしない。それがピタリと止まって数秒、至は大きく深呼吸をして綴に向き直る。漸く決意が固まったらしい。
「プロポーズは! 俺からしたかったの‼」
 至が顔を真っ赤にしてから数十秒。意味を理解した綴の顔が真っ赤に染る。綴にとってこの家は至と共に生きたいという証明であってプロポーズのつもりはなかったのだ。要するに自覚がなかった。今更になって綴は大変なことをしてしまったと顔を赤くすればいいのか青くすればいいのか、もう混ぜて紫色はどうだろうとか、混乱を極めていた。その反応に至は深くため息を吐く。至とてそんな気はしていた。綴はそういう人間だ。
「……改めてちゃんと俺からするから。あと家族にもちゃんと紹介する」
「はい……おれもさせてください」
 最終的に赤く染まった顔を両手で覆いぷしゅりと音が出そうな様相で綴はその場に崩れ落ちた。それを見た至は声をあげて笑う。久しぶりに大声で。それを恨めし気に見ていた綴も次第につられるように声をあげて笑い出した。こうして二人が笑いあうのは数十日振りだ。涙が出るほど笑い倒して二人で一緒に深呼吸する。
「帰ろっか」
「はい」
 未来の家を後ろに、二人は今の家をに帰る。いろいろこじれる原因ではあったけれどあの部屋が二人の大切な居場所であることに変わりはない。すっかり暗くなった家路を街灯がうっすらと照らした。

この度は素敵な企画に参加させて頂きありがとうございます。錚々たる顔ぶれの中に私なんぞがいていいのかと今から戦々恐々としてますが少しでも至綴の魅力を伝えられたらと思います。
お話の展開としてちょっと無理があるかな、と思う部分もあるのですが個人的にはとても楽しく書かせて頂きました。このような機会を与えて下さったさまさんには感謝しての気持ちでいっぱいです!
また、ほかの参加者さんもだと思いますが私自身この企画をめちゃくちゃ楽しみにしております。公開される日が待ち遠しい…。公開日には皆さんで盛り上がれてたらなあなんて思っています。
改めまして、主催者であるさまさん、参加者の皆さん、お読みくださった方々、この度はありがとうございました!

桧木

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