top of page

お揃い

「…ん?」
気づいたのは、改札を通って駅のホームに立った時だった。
今日は俺の脚本を使ってくれることになった劇団の元へ、打ち合わせも兼ねて稽古場の見学をしてきた。脚本家として働くようになってから様々な劇団の脚本を手がけてきたけど、やはり劇団ごとにそれぞれ持つ雰囲気や特性があるし、今回は当て書きとまでは言わないがせっかく新しく書き下ろすのだから、出来るだけ彼らに向けた脚本を書きたいと思って申し出たものだった。
訪れた劇団の人はみんな気さくでいい人で、若めの役者が多いこともあってかフレッシュな雰囲気が印象的だった。軽く稽古風景を眺めて、総監督と脚本について方向性を擦り合わせて、俺は一足先に稽古場を後にした。
時刻は昼過ぎ。この後は予定もないし昼食は家で食べようと思い、寄り道せず帰路につくことを決める。駅に向かい、電車の中で音楽を聴こうかなといつもイヤホンを入れてあるバッグの内ポケットを覗いて、その隣にあるはずのものが無くなってることに気づいたのだ。
「え、え?あれ?」
バッグの中で迷子になってるだけかもとしばらくガサゴソ漁ったが、お目当ての物は見当たらない。
まさか失くした……?と血の気が引いたところで、おもむろにパーカーのポケットに突っ込んでいたスマホが震えた。
「はい、皆木です」
『あ、皆木さん!さっきの今のですみません』
電話の相手はつい先ほどまで顔を合わせていた件の劇団の監督さんだった。
『皆木さん、キーケース落として行かれませんでしたか?』
「…!は、はい!落としました!」
いい年してこんな元気に落とし物宣言するのはあまりにも間抜けだったが、ちょうど今探していたものを言い当てられて思わず声が上ずってしまった。
『あはは!やっぱり。黒の皮のやつですよね?鍵が三本ついてる…』
「はい!そうです!裏地が緑の!」
『じゃあ間違い無いですね。ちょうど稽古場の隅に落ちていたので、もしかしてと思って』
「すみません……ちょうど気づいて焦ってたところだったんです」
安堵感でへらりと笑いながら、ホッと胸をなでおろす。
そう、まさに俺が今探していたのはキーケースだったのだ。中には家の鍵と実家の鍵、それに自転車の鍵が入っている。
「今から取りに戻ってもいいですか?」
『あ、それなんですけど……』
電車が滑り込んできたホームに背を向けて改札に引き返そうとしたところで、電話口の監督さんが少しだけ申し訳なさそうな声を漏らした。
『ちょうど稽古が終わって、帰りの支度をしてる時に気づいたんです。私たちこの後はまた別の打ち合わせが入ってまして、時間がなかったのでもう出発してしまって…』
落とし物をしたのはこちらの落ち度なのに、心底申し訳なさそうにそういう監督さん。聞けば打ち合わせは稽古場からかなり遠い所で、しかも時間は夜まで予定されているらしい。
『次お会いする時にお渡しできればとも思ったんですけど、お家の鍵もあるみたいですし急いだ方がいいですよね…』
どうしよう、と困った声を聞いて、少し考えてから口を開いた。
「あの、それでしたら次お会いする時で大丈夫です」
『え?でも…』
「同居人がいるんで家に入れないってことにはならないんで。次会えるのは明後日の打ち合わせですよね?それまでは同居人も休みですし、何とかなります」
だから明後日まで預かってもらってもいいですか?と聞くと、監督さんがそれなら、と胸を撫で下ろしたのが電話越しに感じられた。
「では明後日まで大切にお預かりしておきますね」
「すみません、よろしくお願いします」
見えないと分かりながらも反射でぺこりと会釈をしながら電話を切って、ふぅとため息をついた。
自宅に向かう電車のホームにいたが、予定変更だ。ここからだとどの路線で行くのがいいかな、と考えながらスマホの路線アプリを開いた。

 

大きなビルの正面玄関。その前にあるベンチに座りながら、自動ドアから次々吐き出される様々な人の流れをぼーっと観察する。(あれから午後いっぱいここの近くのカフェで黙々と執筆していたので、いい感じに脳が疲れているのだ)
一人で黙々と駅に向かう人、仲のいい同僚とこれから飲みに行くらしい人、若い女性はスーツが少しだけ草臥れていて、沈んだ表情を見るにどうやら疲れが溜まっているらしい。あの人もあれくらいの歳の時は度々あんな顔で寮に帰って来てたっけな。今じゃ随分仕事に慣れたようで、あそこまで疲れた顔をするのは減ったように思う。
自動ドアは何度も開閉を繰り返し、中に入っていた人間たちをせっせと日の沈んだ夜の街に吐き出している。人間にとっても忙しい職場だけど、ドアにとってもここは忙しい場所だろう。ご苦労様である。
そんなことをダラダラ考えていたら、数十回目に開いたドアの向こうから見慣れたブロンドの髪が吐き出された。
スーツ姿の人の群に違和感なく紛れるその人は、家で見るのとは違って大手商社で働くエリートリーマンの一人といった風貌で、その新鮮な姿にちょっとだけ嬉しくなる。(何年経っても彼の新しい表情には毎回飽きもせずときめいてしまうのだ)
そんな彼は何気なく視線をこちらに投げて、俺の姿を視界に捉えたらしい。その瞬間のギョッと目を瞠った間抜け顔が面白くて、思わず吹き出してしまう。そして彼は一瞬でエリートリーマンからよく見知った俺の恋人の顔に早変わりした。
「え、は、綴!?」
「お疲れ様っす、至さん」
「ちょ、え、何?どしたの?」
さっきまでのお澄まし顔は何処へやら、至さんは突然現れた俺に驚きと喜びを織り交ぜたような顔で、しっぽを振る子犬のごとく慌ててこちらに駆け寄って来た。
「えーっと、色々ありまして…」
あはは、と少し照れながら頬を掻く俺に至さんが首を傾げたタイミングで、後ろから「茅ヶ崎先輩!」という高い声が飛んできた。
「あの、お疲れ様でした!」
「ああ、うん、お疲れ」
少し遠い距離から声をかけてきたのは若い女性二人組で、至さんが軽く手を挙げて答えるとキャーッと嬉しそうに小さく歓声をあげながら去って行った。
「…茅ヶ崎『先輩』だって」
「なんだよ」
「いーえ?別にぃ」
ふふふ、と含み笑いをしてやると至さんが照れたように肘で小突いてきた。
「うっさい、はよ行くよ」
「はぁい」
スタスタ歩いて行く至さんの後をついて行きながら、まだニヤニヤと顔が緩むのを抑えられない。普段はあまり見れない会社での至さんを垣間見れた気がして、はたから見ても分かるくらいに浮き足立ってる自分がいた。

「は?鍵失くしたの?」
「いや、落としたので預かってもらってるだけです」
「呆れた…」
けろっとそうのたまう俺にため息をついた目の前の人に、少しだけ居心地が悪くなる。な、なんだよ、落とし物くらい誰だってするだろ。
「てか連絡くれれば鍵くらい渡せたのに」
「うーん、そうなんすけどね。ちょうどパソコンも持ってたし、どうせなら外で軽く仕事終わらせちゃおうかなって思って」
話しながら乗り慣れた自家用車の助手席でシートベルトを締める。運転席の至さんは鞄とジャケットを後部座席に放り投げて、ゲームアプリを開いた。
「家でやればいいじゃん。カフェだと金かかるし」
「外の方が集中できるんすよ」
「ちぇ、お気楽在宅ワーカーめ」
「うるさい高給取り」
どっちが、とくすくす笑う至さんに、俺もくくっと肩を竦めた。
至さんの嫌味も本気じゃないことくらい分かっているから、俺も遠慮なく言い返せる。一緒に住み始めてすぐの頃は俺だけ在宅なことに引け目を感じたりもしてたけど、その分至さんの苦手な家事もしてあげられるし、悪いことばかりじゃない。それに俺の仕事の大変さを理解してくれる至さんだからこそ、俺が修羅場の時は苦手な家事をしてくれたりもするし、お互い支え合って生活出来ている。(ちなみに俺の給料はバラつきがあるけど、手がけた脚本の公演が売れたりすれば至さんの給料を超える時もあるからお互い様なのだ)
「それに、それだけが理由じゃないでしょ」
おもむろに至さんが腕を伸ばし、俺の頬を少しだけ指先で撫でた。
「そんなに俺とデートしたかったの?」
隣を見れば、これでもかというくらいの不遜な笑み。さっきまでのエリートリーマンはすっかり鳴りを潜め、表情も、声も、纏う空気感までもが、二人きりの時だけに見せる恋人のそれになっていた。その事実に内心むずむずと優越感に似た何かが襲う。
さっきの女性社員たちは決して見ることができない、俺の、俺だけの至さんだ。
そりゃ爽やかで優しい『茅ヶ崎先輩』もかっこいいけど、俺だけが見れる『恋人の至さん』の方が何倍も、何千倍もかっこいい。(マウント取りだって?上等)
そんな内心はおくびにも出さず…ついでに言うと至さんの言葉が図星だったことも心の内に隠して、負けじと俺もべっと舌を出してやった。
「別に?至さんがしたいかなと思って仕方なく待っててあげたんです」
負けず嫌いな物言いにふはっと笑みをこぼした至さんが、自分のスマホを俺に渡しながらようやっとシートベルトを締めた。
「はいはい、仰る通りですよ、プリンセス」
「誰がプリンセスっすか」
「中華とイタリアンだったらどっちがいい?」
「…中華」
「りょーかい」
そう言って車のエンジンをかけた至さんが、ゆっくり車を発進させた。俺は機嫌よく上がる口角を抑えながら、慣れた手つきで至さんの代わりにゲームのデイリーとやらをこなし始めた。

 

俺の大学卒業と同時に始めた二人暮らし。先述の通りお互い持ちつ持たれつ、もちろん喧嘩をしたことも一度や二度ではないけども、それでも総合的に言えば上手いこと支え合って暮らしていけているだろう。
ただ一緒に暮らしていると、どうにもデートをする機会は減ってしまう。休日に出かけるのもただの買い出しみたいなもんだし、寮暮らしだった頃みたいに二人だけでどこかに出かけるドキドキとは随分ご無沙汰だったように思う。だから今日は、外で待ち合わせをして(というか俺が勝手に待ち伏せてたんだけど)至さんの車に乗ってどこかへ行くという久しぶりなことに内心かなり浮かれてしまったのだ。
それは至さんも同じみたいで、会社から少し離れたところにある中華料理店に入ってからも終始嬉しそうに最近の会社での出来事をペラペラ話していた。(聞かれもしないのに饒舌に最近の出来事を話し出すのはこの人の機嫌がいい証拠だ)
二人で美味しいご飯を食べながら、なんでもないことを語り合う。仕事のことやカンパニーのこと、ゲームのことや家族のことなど。家でもずっと一緒にいるのに、話すネタが尽きないのは凄いことだよなぁと常々思う。この人といると話したいことも聞きたいことも尽きないのだ。多分これはこれから先もずっとそうなんだろう。

「はー、食った食った」
「おっさん臭いっすよ」
車に戻るなりほんの少しだけぽっこりしたお腹を撫でた至さんは、ベルトを取ってまたしてもそれを後部座席に放り投げた。
「いや〜調子乗ったわ…若い頃の感覚で頼んだらダメだね」
「まあそれは同意ですけど…」
確かに俺も年々食べれる量が減ってる自覚があるので、俺より年上かつ元々食の細い至さんはそれを顕著に感じてるんだろう。
「運転出来ます?俺代わりましょうか?」
「いいよ、そこまでじゃない」
善意で申し出た言葉は案の定すぐに却下された。何年経っても至さんは二人きりの時に俺に運転をさせることを渋る。俺が免許を取る時もギリギリまでごねていたから、どうやら至さんなりの謎のプライドみたいなものがあるらしい。(別に、俺は気にしないのに)
「さて、行きますか」
ふぅ、と息をついてから至さんが車のエンジンを入れた。
夜も更けた時間、二人でデートをした後。外からの光に微かに照らされながらハンドルを握る至さんの横顔に、一瞬懐かしい思い出が脳裏を掠めた。
「…」
寮にいた頃、よく二人でデートをしていた頃なら、この後向かう場所なんていつもひとつだった。
「…なんかやらしいこと考えてるでしょ」
「うぇっ?」
黙った俺に何を思ったのか、車を走らせ出した至さんが前を向いたままおもむろにそんな言葉をかけてきた。藪から棒な発言に思わず間抜けな声が漏れてしまう。
「はは、『うぇっ』って」
「う、うるさいっすよ…」
俺の声を真似て笑う至さんを睨むと、至さんがちらりと一瞬こちらに視線を向けた。
「…たまにはホテルでも行く?」
「…っ」
カッと頬が熱くなる。暗い車内では気づかれてないはずなのに、赤くなった俺が見えてるかのように至さんがにやりと微笑んだ。
「可愛い顔すんなって」
「…前見て運転してくれません?」
「心の目で見てるんですー」
相変わらずな減らず口にこちらもむすっと口を尖らせる。
「…別に、家ですりゃいいじゃないすか」
「そうだけどさー…って、家でならしていいの?」
運転中だし良かれと思って呟いたのに、運悪く赤信号で停まったせいで、至さんが驚きと喜びを滲ませたようにこちらを振り向いた。俺は慌ててぷいっと反対側に顔を逸らす。
「…やっぱ食い過ぎで腹出てる人とはしたくないです」
「出てない!もう消化した!」
「それ抜きにしてもアンタ最近ちょっと太りましたよ」
「そんなことな…え、マジ?」
窓ガラスに映った至さんが本気で焦った顔をしたものだから、拗ねてることも忘れて思わず吹き出してしまう。(別に、痩せやすい体質だから少し気をつければすぐに元に戻る程度だ)
「風呂上がりのパンツ姿とか見ると、なんとなーく丸っこくなったなって」
「え、う、うそ…」
「まあ?至さんのぷにぷにのお腹触らせてくれるなら?してあげてもいいですけど」
「ぷ、ぷにぷに…う、いや…でも、んん…」
「はは!ほら、青」
信号を指差せば渋々前に向き直った至さんが、うんうん唸りながら答えに迷ってるのが面白くて笑いが止まらない。別に少しくらい太ったって気にしないし、どんな至さんだって好きでいられる自信がある。
…結局のところ、ちょっとやそっとのことじゃ嫌いになんてなれないのだ。悔しいことに。

明日は週末、至さんとずっと一緒にいられる。鍵がないことを理由にして一緒に買い出しについてきてもらおうかな。ダイエットを兼ねて歩いてスーパーまで行くのもいいかもしれない。ああでも、車で少し遠出するのも捨てがたいな。
…まあ、明日のことは明日決めよう。今日はもう遅いし、それに多分、今夜は二人で夜更かしすることになりそうだから。

「早く帰りましょう、至さん」
お揃いの鍵で、あの家の扉を開けよう。

この度は素敵な企画に参加させて頂きありがとうございました!
同棲アンソロなのに終始家の外にいる二人なんですが(笑)当たり前に同じ場所に帰ったりとか、

困った時に迷いなくお互いに頼る関係とかが好きなので、そんな感じが少しでも伝われば嬉しいです!
最後に主催のさまさん本当にお疲れ様でした&ありがとうございました!♡

 

 

豆花

bottom of page