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一人の部屋で

「ただいま」
そう声に出しても中から帰ってくる声は無い。
男兄弟10人の大家族の家庭で育ち、ついひと月ほど前まで寮に居ていつでも誰かがおかえりと返してくれる生活していた俺にとってそれはどうもむず痒いような不思議な感覚だった。
途中のスーパーで買ってきた割引された牛乳や卵のパックを冷蔵庫に入れると半額になっていた幕の内弁当をレンジに入れる。
いつもなら簡単にでも自炊をするのだけれど今日はなんとなくそんな気分だった。
リサイクルショップで買ったレンジの中で回るのを横目に夜間の茶をガラスコップの中に注いだ。
「……静かだな」
ぼんやりとそう呟いた声はあっさりと空虚に溶ける。
TVの上に置かれたカレンダーには一週間後まで”大阪”と書き込まれている。
数年前ドラマに出演したことを切っ掛けにサラリーマンと役者の二足の草鞋を履いていた至さんはついに役者の道を選んだ。
MANKAIカンパニーの舞台以外にも度々TVドラマや客演で別の劇団の舞台に出演するようになり、今もゲームの2.5次元舞台に出演中だ。
ナイラン同様元々プレイしていたナンバリングの作品らしく、オーディションの話が有った次の日から苦手な殺陣を万里や秋組に頼み込んで稽古をし、その役が決まった時の喜び方は子供が新しいおもちゃを手に入れた時の様だった。
先日までの東京公演もなかなか評判がいいようだ。SNSで軽く検索すると「ゲーム画面そのまんまの生き写し!」だとか「かっこよすぎる!」だとかわんさか好感触の感想が出てくる。
けれど見に行ったカンパニーのメンバーは演じているのは冷徹でクールな役の筈なのに妙にウキウキしてワクワクが止まらない浮かれた彼にきっと気づいただろう。
「ふふっ」
思い出し笑いを零しながらレンジから温まった幕の内弁当を取り出し、テーブルの上に置く。透明な蓋を開くともくりと湯気が立ち上った。
誰も居なくても無意識にいただきますと手を合わせてしまうのは両親のしつけのおかげだろうか。最初は黙々と箸を伸ばしては口に運んでいたがなんだか音が無くて寂しくなってTVを点ける。
バラエティー番組、ドキュメンタリー、遠い国の選挙戦について語るニュースに去年話題になった映画に恋愛ドラマ。
パチパチとチャンネルを変えても横から誰にも今のが良い!とかあれが見たい!とか言われないし、チャンネル権は俺だけに与えられてる。
けれど特に興味を引く番組も無くて結局最初のバラエティー番組にチャンネルを留めた。
箸で割った味の濃い鮭を一口咀嚼し、梅干しの色の移った固めの白米を次に口に放り込む。
TVでは最近流行りの芸人が何度も聞いたお馴染みのフレーズで客を沸かせている。
無心で弁当を食べ進め、最後の柴漬けを齧るとごちそうさまと茶を啜った。
空になった弁当箱をキッチンのごみ箱に捨てるのは少しゆっくりしてからでもいいかもしれない。
ノートパソコンを立ち上げ書きかけの台本を開け、昨日詰まった地点にカーソルを合わせる。
「んー……なんか違うな……」
数文字カタカタと打ち込んだけれどどうもしっくり来ない。
言い回しを変えてみるけれどそれもどうも違って、何度か書き換えた後やっぱりデリートしてしまった。
弁当箱を軽く流し、ゴミ箱へ。そしてお茶のお代わりを注ぐと窓を開けた。
初夏の生温い夜の空気維混じって何処かの部屋から笑い声が聞こえる。軽く伸びをすると窓辺に腰掛け空を眺めた。
薄曇りの雲の隙間から丸い月が覗く。
そういえば至さんに一緒に暮らそうと言われた日もこんな月が空に浮かんでいた。
それから暫くしてから互いの両親の所に一応挨拶に行った時さすがに双方を驚かせてしまったけれど、俺の母さんが神妙な顔つきで「男10人も産んだら一人くらい嫁に行ってもおかしくないか」と言い出したのは流石に皆あっけにとられた後笑ってしまった。
至さんの方のご両親は流石に一人息子の選択に相当困惑していたようだけれど、同席してくれた至さんのお姉さんがそれ以上に喜んでくれたのできっとフォローしてくれるだろうというのは至さんの弁だ。
それから寮の中庭でささやかだけれど皆に祝ってもらって結婚式のまねごとをして、この部屋に引っ越してきた。
2DKの寮から徒歩10分のアパート。
時々些細な喧嘩もするけれど、至さんはずっと傍にいてくれたのに
「一週間かー……」
まだ、一週間。ただの一週間だったらあっという間なのに、この部屋で一人で過ごすには少しだけ長く感じて。
ため息を零すとスマホが鳴った。
「もしもし」
『綴?』
「至さん、稽古終わったんすか?」
『うん、さっきホテルの部屋帰ってきたとこ』
それから場当たりの大阪の会場が思った以上に立派だったことや、稽古中の共演者の凄い特技の話、殺陣師の人に怒られた話や演出の人に褒められた話。
スマホから流れてくる至さんの声にホッとしている自分が居た。
『……綴、もしかして俺の話つまんない?』
時折相槌を打つだ聴いているだけだった俺に流石に不信感を抱いてしまったのだろう至さんの言葉に鼓動が跳ねる。
「ち!違います!」
『じゃ、どうしたの?』
「ッ……その、ちょっとさみしかったから……至さんの声聞くと安心できて……」
『…………』
思わず漏れた本音に至さんも引いてしまったのか、声が途切れた。
あーもう!あんな事言わなければ良かった!そう後悔する俺の耳に蚊の鳴くような声で『……オレノヨメクソカワ』と呟く声が聞こえる。
「い、至さん?」
『あーもうホント綴可愛すぎ、思考回路がショート寸前だわ。今死んだら死因嫁可愛死になるわ』
「はぁ?」
『正直今すぐおうちに帰りたいです』
「……馬鹿言わないでくださいよ。公演あるでしょ」
『デスヨネー』
「待ってますから、この部屋で」
『りょ、明日も電話するから』
「頑張ってくださいね」
『ん、お土産も楽しみにしてて』
おやすみ、の声も優しくて、途切れたスマホをテーブルの上に置くと早く明日になって電話が鳴らないかなって、ぼんやりとそんな事を思うのだった。

とても楽しい企画に参加させて頂けて嬉しいです!いっぱい同棲至綴が読めるの楽しみー!

 

倉持まこ

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