4文字のメッセージ
「「いただきます」」
二人そろって手を合わせてからそれぞれの食事に手を伸ばす。
同棲を始めてから1年と少しが経つが、最初こそ戸惑ったり意見が合わなかった事もあったけど今は馴れもあって何でもない日々を過ごしている。
つけっぱなしのテレビから漏れるトーク番組の司会者が出演者に対してテーマに沿った質問を投げかけ、返ってきた答えに同調したり面白おかしく自分なりの解釈を述べたりしてテンポよく進んで行く会話に時折笑いながら箸を進める至さんが、そういえば、と、こちらを見つめた。
「…なんすか?」
あまりにもじっとこちらを見てくるビビットピンクの瞳に尋ねれば、彼は少しだけ間を開けてから
「急な話なんだけど、来週からちょっと長めの出張に行くことになったから」
なんて、さらりと言ってのけた。
混乱する頭を必死に動かしながら『来週からちょっと長めの出張』という一区切りの言葉の意味について考える俺を他所に再び主菜に箸を伸ばした至さんをしばらく凝視した後、なんとか絞り出した言葉は「そう…っすか…」なんて、気の抜けた一言だけだった。
【4文字のメッセージ】
あれから三週間が過ぎた。
いつも仕事に行くときは「行きたくない」だの「会社が爆発してますように」だのと駄々をこねてから行くというのに、出張に行く宣言をしてからの一週間は驚くほどすんなりと会社へ向かっていく背中に内心何か悪いものでも食べたのではないかと心配していたのだが、至さんだってやる気出す時ぐらいあるよな…なんて失礼極まりない事を思いつつ、それでも週末には自分で出張の用意も済ませて、当日の朝なんて俺よりも早く起床してあっさりと長期出張に行ってしまった彼にやっぱり悪いものでも…と頭を過った。
そのあと、すぐに「出張嫌だ」とか「すぐ帰りたい」とか泣き言を言ってくるかもしれないと身構えていたのはせいぜい3日間ぐらいで、最初の方は晩御飯何食べた?みたいな他愛のない話をLIMEでしていたのに、徐々にそれも少なくなり、泣き言どころか普通のやりとりですらなくなってしまった。
(…そういえば随分前に流行ったドラマで、長期出張に出るって言った夫が実は愛人のアパートに行ってたって泥沼な話があったな……)
ふいにそんなことを頭に浮かんで、慌てて首をふる。
そんな馬鹿げたことあるわけない。少なくとも俺が知っている茅ヶ崎 至という男は同時に二人も愛せる程器用な男ではない。
「でも……もしかしたら…もう俺に対して気持ちがないとしたら…」
ぽつり、と誰もいない少し広めのリビングに、不安げな一言が落ちる。
そんなわけない、そんな不誠実なことをする人じゃないと自分に言い聞かせるが、一度転がり始めた悪い方向への予想は止まることが無くて、何気なく見たベランダのプチトマトの苗が鈴生りの紅い実を頷くように揺らすのが目に入り、たったそれだけの事なのにぞわりと寒気が背中を走る。
「大丈夫…大丈夫だって。至さんだし。」
よくわからない励ましを自分自身にしながらスマホを手に取り、至さんとのLIMEを開いてメッセージを送ろうと思うが、どんな言葉を送ったらいいのかと迷ってしまって結局は何も送らずに画面を閉じる。
そういえば夕方から劇団の方の様子を見に行くって約束をしてたっけ。とこの後の予定を頭の中で組み立てながら、さっきまでの思考を無理に端へと追いやって早めの外出支度を始めた。
「ねえ、ここの解釈なんだけど…」
読み合わせの後、まだ新しさのある台本片手に話しかけてきたのは真澄だった。
今回の舞台は劇団に所属する学生たちが主体となって一つの劇を作り上げるという企画で、協賛している企業の一つに監督が愛用している大手スパイスメーカーの名前があり、ひょっとして賞に引っかかったら何かもらえるんじゃないか?という半分冗談で誰かが言った言葉を鵜呑みにして、学生の中では年長組になっている真澄の気合は静かに燃えている。
初めて彼が主演を務めた時は空回っていたことも、今では随分懐かしく思う程頼れる存在となった。そんな真澄にほんの僅かばかり同じ春組として、元ルームメイトとして深く付き合いがあった兄貴分として誇らしいようなものを感じて頬が緩まりそうなのを引き締めながら質問されたことに自分なりの考えを説明すれば、彼は真剣な表情のままメモを取りつつ俺の話に耳を傾けた。
「そういえば、至は?」
話が一段落ついて、少しの間を開けてからそんなことを訊かれる。
いつもなら俺だけで済むような用事でも仕事の都合さえつけば必ずついてくる彼が居ない事を不審に思ったのだろう。
「あー…至さんは今出張で…」
「ふぅん……」
何か言いたげな顔をした後、言葉を探すように斜め下へと落とされた瞳が再びこちらをじっと見つめてくる。その真剣な眼差しに思わず「どうした?」と訊けば、彼はまた少しの間を開けてその薄い唇を開く。
「…寂しい?」
こちらが拍子抜けするほど短い一言。だが、一番今俺の心情を的確に表したその一言に黙り込むも、彼はそんな事お構いなしに話をつづけた。
「……寂しいなら、そう言えばいい」
「しょうがないだろ…至さんは仕事で……」
もごもごと歯切れの悪い返答をしつつ、昼間に疑ってしまった事が脳裏へ浮かんでしまう。本当は出張なんかじゃなかったらどうしよう。このまま帰って来なかったらどうしようという不安が大きな波のように押し寄せてきて、自分の大丈夫だと思う気持ちまで攫って行きそうだ。
「仕事だろうが何だろうが関係ない。寂しいって思ってるならちゃんと言うべき」
「でも……そんなことしてめんどくさい奴とか思われたくないし」
「…アイツが綴に対してそんなこと思うわけない」
呆れたような声色にムッとして、「そんなのわからないだろ」と若干語尾が強くなり気味に言えば、真澄は深いため息をついた。
「どうしてそう思うの」
「どうしてって…」
「至は綴と付き合ってるって俺達に宣言した時も、同棲するって決めてここから出ていく時も、何時だって幸せ全開な顔した。あんなに煩いぐらい全身で好きって言ってるような相手に対して不安がる理由は何」
「それは…そうかもしれないけど…」
「けど?」
「…今回、出張に出る前からちょっと様子が変で…」
じっとこっちを見る真っ直ぐな瞳に嘘は付けず、隠し事も上手く出来ずに自分の思っていることを洗いざらい全て話す。
出張に行くと言った至さんがどこか淡々としすぎていたこと、LIMEのやり取りが途切れて最近は出来てない事、もしかして他に好きな人が出来たのではないかと不安に思っていること。
全部話し終わった後に、ちらりと真澄の様子を伺えば、彼は心底呆れたといった表情を浮かべてから、肺の空気を全て吐き出すような長いため息をついた。
「……綴、絶対今日中に至に連絡して」
「え!?いや、だから…」
「いいから、絶対連絡して」
無理そうなら俺が至に全部言う、と付け足す真澄にそれだけはやめてくれと頼んでからしぶしぶその約束に頷いてから時計を見れば、そろそろ夕飯時を指している。
「じゃあ…そろそろ帰るな」
「うん…、そこまで送ってく」
あまりにも珍しい申し出にもしかして自分の聞き間違いだろうかと思いつつ鞄を持つ体制のまま固まって真澄を凝視すれば「何…帰るんだろ」といつも通りの声色で言ってのける彼に「ああ、うん」なんて間の抜けた返事をしてから鞄を肩に引っ掛け、皆に軽く挨拶をしてから外へ出た。
梅雨開けが近い夜道は何処か夏の匂いがする。そんなことを思いながら、黙って斜め前を歩く真澄の名前を呼ぶ。
「あんまり遠くまで送ってくれなくっていいから。なんか…その…気をつかわせてごめんな。…ありがと」
なんとなくではあるが、あんなことを言いつつも俺の事を心配してくれているのであろう彼にどこかくすぐったさを感じながらも礼を述べれば「別に」と小さく返した真澄は振り返って、少しだけ言いにくそうに口をまごつかせた後に「あのさ」と言葉をつなげる。
「…至に限って絶対にアンタが心配してるようなことは無いとおもう。けど、もし、どうしても寂しくなったり、どうしようもない事になったとしたら……その、今はもう一つのベッド空いてるし、いつでも帰ってきてもいいから」
帰ってきてもいい、その一言が妙に温かい。俺が寮を出た後の102号室は未だ入居者はおらず、真澄が広々と使っているということは耳にしていたが、まさかそこに再び戻ってもいいと言ってもらえるとは。あの至さんと二人で暮らしているアパートでもなく、実家でもない、別の帰る場所があることにじわじわと嬉しさがこみあげてきて「ありがとう」と照れ隠しに彼の猫毛をぐしゃぐしゃにしながら撫でれば「うざい」と怒られてしまったが、それでも緩む頬を抑えられずにだらしのない顔のまま軽く手を振って別れる。その別れ際に小さく舌打ちをされた気がしたが、それは聞こえなかったふりをした。
なんだか少し気分が軽いままアパートへ帰ったが、ソファーに座って真澄との約束通りにLIMEを送ってみようとアプリを開くが、何処から書けばいいのか迷っているうちにうとうとと瞼が重たくなってくる。
長い文章を打っては消し、消しては打ち込みとしていくが、最終的に4文字だけを打ち込んでそのまま意識が遠のいていく。
(まぁ…明日ちゃんと考えよう…至さん、多分帰ってくるまでもう少しかかるだろうし)
明日も特に予定はないからもうこのまま寝てしまおう。そんなふうに考えてゆったりと夢の世界とソファーに身体をゆっくりと沈めた。
「ん…ぅ…」
寝返りを打つ際に、ずっと同じ体制で寝てしまっていたせいで痛む背中にまどろみから意識が引き上げられるのを感じる。だが、今から起きて風呂に入ってベッドで寝なおすのは随分と面倒くさい。それならばもう少々の痛みは我慢してこのまま寝てしまおうと決めたが、鼻孔を珈琲の匂いが擽る。
(あれ…もしかして珈琲温めたままだったっけ…?)
家で使っている珈琲メーカーはいつまでも煎れたての温度を保ってくれるヒーター付きで、いつも大量に煎れてはそこで温めたままにしているのだが、今日は珈琲自体飲んでないはずだ。だが、それは思い過ごしで温めたままだったのかもと未だ眠たい眼をこじ開けてキッチンの方に目を向ければ、そこにはいないはずのその人がいた。
「い…至さん…なんで…」
眠気なんて何処かに吹きとんで上体を起こす。でも寝起きの頭では今の状況は処理しきれずに呟いた言葉はしっかり至さんに届いたらしく、彼は少しだけ驚いた顔をしてから優しく微笑んで、スーツ姿のまま手に持っていた珈琲カップをキッチンに置いてからゆっくりとこちらに近寄ってくる。
「ごめんね、長いこと家あけちゃって」
「別にそれは……えっ、でも、なんで…帰ってくるのもっと先じゃ…」
「実は早めに仕事終わってね。本当は明日帰るつもりしてたんだけど…こんな可愛いLIMEもらったらすぐにでも綴の傍に帰りたくなっちゃった」
くすくすと笑いながらソファーの前にしゃがんで、いつの間にか落ちてた俺のスマホを拾い渡してくれた至さんの手から慌ててそれを受け取って画面を確認して顔に熱が集まるのを感じた。
『会いたい』
そのたった4文字だけが送られているトーク画面に、どうやって言い訳しようか考えたが何も良いものが思いつかずに俯いてしまうが、そっと至さんの冷たい指先が俺の手を包み込んでやわやわと手の甲を撫でる。
「ごめんね綴。俺、ちょっと気の使い方間違っちゃったね」
思いがけない言葉にはっとして顔を上げれば、至さんは困ったように笑いながら言葉を続ける。
「綴には変な心配とかかけたくなかったし、早く終わらせて帰りたい一心で仕事に集中して頑張ったけど…それがかえって寂しい想いさせちゃったんでしょ?」
「なんで…」
「真澄からすごい剣幕のLIME来たから。文字数限界の長文、三つ分の」
黙っててって言ったのに!とぐるぐる考えながらも「いや、でも…それは真澄が大げさに言ってるだけで…」と誤魔化そうとしたが、ぎゅっと握られた手に言葉を詰まらせれば真っ直ぐにこちらを見つめるビビットピンクと目が合った。
「綴からしたら言わないで欲しかったことかもしれないけど、俺は真澄が言ってくれてよかったなって思ってるよ。
…そうじゃなかったら、また心配かけないようにって変にかっこつけたりして綴のこと不安にさせちゃうところだった」
至さんの手が俺の頬を優しく撫でる。まるで壊れやすい細工を愛おしく撫でるみたいな手つきがくすぐったくて少しだけ笑えば、彼はほっとしたように軽く息をついた。
「…俺ね、真澄からのLIME読んでから綴のメッセみてさ、すごく、取り返しのつかないことをしたんじゃないかって思ったんだ」
「取り返しの…つかないことっすか?」
「そう。…二人で暮らし始めて、いつも綴が傍にいるのが当たり前になって、今回出張が決まった時に思ったのは出来るだけ綴に心配かけないようにとかそんな事ばっかりで…
…俺がこの部屋から出て行ったら綴は一人ぼっちになるってことまで考えられてなかった」
一人ぼっち、という言葉がすとんと自分の中に落ちる。そうか、俺は一人ぼっちになった気がしていたからか、と。
至さんが俺に心配や手間を掛けまいといつもとは違った行動をとったことも、日を追うごとに減っていったLIMEのやりとりも、ふと頭を過る悪い予感も、全部全部一人ぼっちでこの部屋に置いて行かれたような気がして寂しかったからかと納得してしまえば、幼子みたいな情けない自分の一面や、至さんがちゃんと自分の日常に帰ってきた、もう一人ぼっちじゃないという安心感にじわりじわりとこみ上げてくる感情を抑えきれずにニンマリと笑った。
「……確かに一人ぼっちは寂しかったっすけど、今はこうやってちゃんと帰ってきてくれたんで、もう全然寂しくないっす
でも、今度長く家を空けるときはちゃんとそのことを教えて欲しいし、その時に変にかっこつけたりしないでいつもの至さんで居て欲しいです。あと、夜のLIMEぐらいは返してほしいし、傍にいないときこそちゃんといっぱい愛してほしいです。それから…」
まだあるのか、という顔をした至さんに抱き着けば、「うわっ」と声を上げたわりにはしっかりと抱き留めてくれて、久しぶりの腕の中を堪能する。
「…おかえりなさい、ってちゃんと起きて出迎えたいんで、帰るときは連絡ください」
俺のお願いに対して、至さんは眼を見開いて驚いた後「わかった。約束する」と目を細めて額にキスを落とした。
『同棲』の棲という字は「(動物などが)巣を作りそこで生活を営む」という意味らしく、同じ巣で日々を過ごすというか、たまに耳にする『愛の巣』みたいな雰囲気があって、好きカプの同棲話は血眼になりながらも全て読みたいぐらい大好きで、この企画が発表された時には宴か?と言うぐらいはしゃいで、参加させていただきました。同棲っていいですよね
今回私が書かせていただいた同棲話はお互いにちょっとずつ言葉が足りない2人という一面と、お互いに沢山帰る場所がある中で選んだのは2人で暮らす部屋だったという雰囲気と(同棲と言えば帰る場所を共にするという認識が好きで…)そばに居るのが当たり前になった時ほど一人になると寂しく感じる的なお話でした…結果至さんより真澄くんの方が沢山話してた気がします…すみません…
この話の後の2人の同棲生活は今まで以上の甘々になればいいのにな…なんて思ってます。
どすこいおにぎり丸