四畳半Invasion
部屋を借りた。
とはいっても、寮と劇場の間にある貸間だ。
築四十五年、木造二階建ての二階。階段横の風呂トイレ共同四畳半。辛うじて部屋内に流しがあって、月額家賃二万四千円。
明治の学士崩れか、昭和の漫画家長屋か、という物件だが、さすが演劇の街天鵞絨町というべきか、カツカツで暮らす演劇人の多いこの辺りでは珍しい物件ではなかった。
「綴、すごい物件みつけてきたね、」
ここにしようと思うんすよ、と契約前に至さんを連れてきたら、近年稀に見るポカン顔をしていた。でも不動産屋でもらった物件詳細の用紙を見てにこりと笑った。
「あー、エアコンあるしWi-Fi飛んでるんだ……うん、いいんじゃない」
部屋を借りたと言っても寮を出たわけではない。というか、出してもらえなかった。
「脚本明け前後の様子を知ってるとねぇ」
「誰が栄養補給してると思ってんの」
「あんた一人暮しなんてしたら絶対食費削るでしょ。衣装のサイズ直したくないんだけど」
等々、エトセトラエトセトラ。ありとあらゆるほぼ全員に反対されて、脚本が切羽詰まってないときの一人部屋として使用することで許可をもらった。
借りた部屋での最初の夜。とりあえず、と布団とノートパソコンだけを持ってきたから、部屋の中はがらんと感じた。昨日まで寝ていた寮の部屋より狭いし天井も低いのに何故だか広い。。
ふと、一人部屋で一人で寝るのは生まれて初めてだ、と気が付いた。
まだカーテンをつけていない磨りガラスの向こう側は道路で、時折通る車のエンジン音が響き、少し離れた交差点の信号の光が規則正しく移り変わって暗い部屋をほんのりと染めていく。
「水の中みたいだ」
俺が一人部屋にいる日の内、九割くらいは至さんもこの部屋に来た。何故か。
「畳とか、最高だわ……俺日本人だった……」
等と供述しており、犯人は全く悪びれない。
そもそも、一人暮しがどういうものなのかが知りたくて部屋を借りたはずなのだが、そういう訳で一人暮らし感は薄い……おかしい、こんな筈では。
しかしパリピ三好によると「大学入って一人暮しのはずなのに、毎日誰か泊まってるからひとりで寝たことがほとんどない」という大学生は一定数いるらしい。なんだ、その母数も対象わからない調査結果は。美大怖い。そもそも至さんは心は子供だが、一応社会人だ。それも仕事以外外に出たら負け(?)の引きこもりだ。当てはまらないだろ。
しかして、至さんは今日も畳に転がってスマホをポチポチやっている。
「そういや、カーテンつけないの?」
「あー……、初めの夜、窓に信号の光が映って、水の中みたいだな、て思ったらそのままでも良いかって気持ちになったんで、」
至さんは聞いているようないないような適当な相槌で、ポチポチとスマホを触っている。
「あ、これ。あげる」
と、突然渡されたのはコンビニ袋に入った新品の爪切りと耳かき。
昨日爪を切りたいと思ったけど、爪切りがないからと諦めたのを思い出した。
「ありがと、す」
「何でわかった、みたいな顔してる」
至さんはふふん、と得意気な顔で笑う。
「これでも一人暮し経験者だからねー」
拝んでもいいよ!と薄い胸を張る様は誉められたい子供みたいだ。やっぱり大人か子供かわからない。
基本的に夕飯と風呂は寮でいただく。
至さんは俺のバイトが無い日はほぼ毎日来るけど泊まることはほぼなくて、帰るときに一緒に俺を寮まで連れていくからだ。
至さんと帰りが遅い組と一緒に夕飯を食べる。
ぼんやりと大きな寸胴鍋をかき回す監督を眺めていると、視界を遮るように真澄が顔を出してくる。
「監督が減るから見るな」
いや、減らないだろ。
「カレーは大鍋で作った方がおいしいんだな、て」
よく考えると、俺は大学入学を機に大家族から独立しようと思ったけど、実際はすぐに劇団の寮に入ってしまったから、結局四人以下での暮らしはしたことがなかったのだ。
一人暮らし(仮)で初めて一人分の食事を作って、驚いたのが米と煮物の味だ。全く同じ割合で炊いても、一人分と大人数分ではどうしてか味が違う。
「一人分と二人分でもかなり変わるぞ」
やっぱり二人分の方が美味く作れるな、と伏見さんがにこりと笑うのに「へぇ」と返事をしたのは至さんだ。
あんた料理なんてしないくせにどうして返事をした。
バイトの日や稽古がある日は一人で直接寮へ向かう。
今日は特に公演を控えたわけでもない基礎の稽古で、筋トレとストレッチ、それから早口言葉をみっちりとやった。単純作業を淡々と、自分の身体の使い方だけを繰り返して積み上げていくのは頭の中が真っ白になって、脳内のリセットに丁度いい。昨夜まで大学のレポートをまとめていて取っ散らかっていた頭がすっきりした。
夕飯もお風呂もいただき、さあ帰ろうと脱衣所を出ようとすると後ろから至さんに呼ばれた。
「玄関の紙袋、持ってって」
「なんすか」
「カーテン」
「カーテン?」
意味が分からなくて振り返ると、パンイチの至さんが脱衣所の鏡の前でドライヤーのスイッチを入れてしまって轟音に阻まれてもう会話はできなかった。
目線だけ寄越した至さんに「さっさと帰れ」みたいに手をひらひら振られて、俺は釈然としないまま玄関の紙袋を持って一人の部屋へ持って帰った。
帰宅して中をあらためると、言葉通りカーテンだった。
俺の部屋の窓に幅も丈もぴったりの、水色のカーテン。水色の所々、水彩がにじむように赤や緑、黄色が散る薄い生地のカーテン。
カーテンレールにつるして電気を消すと外の街灯や信号でほんのりと水色が照らされる、それはいつか話した事だ。
「水の中みたいだ」
聞いているなんて、憶えているなんて、思わなかった。
本棚代わりのカラーボックスと、箪笥代わりのカラーボックス。大学の先輩が譲ってくれた小さな折り畳み卓は机と食卓の替わりで、食器は多くないから作り付けの流しの棚に入れてある。
多くを持たない俺の部屋は片付いているというよりは殺風景なのだと思う。
至さんはカーテンの次には小さな食器棚を某お買い物サイトから直で送りつけてきた。万里の大学の友人が電子レンジを手放すから貰おうと思う、と話した翌日だった。
丁度いいので、食器棚の上に電子レンジを設置した。
部屋の片隅の段ボールが二つ積みあがった辺りで「何アレ」と聞かれた。
「ファンの方からもらったプレゼントっす」
「なんであんな積んであんの」
「有難いんすけど、アクセサリーとか置物とか?今までそういうのに縁がなかったからどうしたら良いかわからなくてあのままなんすよ」
食べ物とか服とか本とか、そうい物ならわかりやすくしまえるのに、今までの人生の中で関わったことのないものはどうしていいかわからない。
「……綴はさ、片付け下手だよね」
「え、あんたに言われたくない」
「綴はあったものを元の場所に戻すのは上手なんだけどね」
布団の縁に腰を下ろして卓の上のパソコンを叩く俺の後ろでゴロゴロしていた至さんはゴロゴロして丸まると俺の腰に頭突きをしてきた。そのあんたがごろごろしてる布団、俺のなんすけど。
至さんはごつごつと俺の腰骨に頭突きしながら、ふは、と空気が抜けるみたいに笑った。
「今度、ちゃんと本棚買ってきな」
「カレー作ってよ」
「俺が作ると市販のルーだし、監督のカレーのが美味いっすよ」
「いいじゃん、四人前作っても二人なら二日もあれば消化できるでしょ」
まあ二人なら、と俺はひき肉を冷凍庫から出した。
土曜も朝早くからやってきた至さんはいつかの食器棚みたいに俺の部屋に直送で通販した人を駄目にするうにゃうにゃしたソファ?クッション?に具合よく埋まると、さっそく昼のリクエストを申し付けてくる。飼い猫様の如き態度だが、献立考えなくていいから助かるといえば助かるので、逆らう理由は特にない。
食器棚の中にはいつのまにか二つずつ食器が揃っている。
部屋の隅、元本棚だったカラーボックスには至さんが百均でそろえたケースに入ったアクセサリーやオブジェ達が並んでいる。そこにしまえばいいのか、とわかったから以降は自分で貰い物達を片付けることが出来るようになった。
窓には水色のカーテン。磨りガラス越しの光を柔らかく映して、陽のあるうちでもなんだかこの部屋は水中のようだ。
「じゃ、昼はひき肉とトマトのキーマカレーモドキにします」
「何それ美味そう」
夜はご飯に混ぜ込んでとろけるチーズをかけてドリア風に。明日の朝はトーストに乗せてカレートースト。明日の昼にまた普通に食べればちょうどなくなる頃合だろうか。
今後のカレーだらけ献立を考えながらパソコンに向かっていたら、妙に通る声で名を呼ばれた。
「綴」
目を合わせてゆっくりと瞬くと、至さんは普段とも舞台上とも違う、なんだかゆるい顔で笑った。
「部屋を借りるなら、外せない条件て何?」
「――エアコンとガスコンロ二口、すかね」
「俺はね、エアコンとネット環境」
はあ、と頷くとちょいちょいと人差し指で呼ばれるので、顔を寄せる。
「この部屋の隣四畳と六畳の二間でさ、来月から空くんだって」
「……で?」
部屋には二人しかいないのになぜかこそこそと声を潜めて話す至さんに合わせて、俺も小さめの声で返す。
「エアコンあってガスコンロ二口でWi-Fi飛んでて家賃三万四千円。俺二万出すよ。パソコンとモニター三台持ってくるし」
「窓の大きさは?」
「外から見ればわかるじゃん。この部屋と同じだから、カーテンそのまま使える」
にやり、と千景さんみたいな顔で笑うので、俺はけらけらと笑ってしまう。
「あっはは!その顔千景さんそっくり!」
「はぁー?」
「いっすよ。今から不動産屋行きましょ」
しぶしぶの体で不機嫌そうに眉間に皺を寄せているのに、口角が上がってしまっている至さんをみて、俺は益々笑ってしまうのだった。
素敵な企画に参加できて光栄です!皆様の同棲至綴拝見するのが楽しみです!!
しかし私は、なんか「同棲、とは?」みたいになってしまいました…おかしいな…
あらしらい