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忘れないで、それはとても大切なこと


『忘れてはいけない大切な二人でいることの原点』

 

 

あぁ漸く解放される、後半はマジ死んだ。

「じゃあ残念だけど茅ヶ崎くん、ここで解散かな。お疲れさま」
「部長もお疲れさまです。来週早々にはまとめたデータを提出出来ると思います」
「宜しく頼むよ」
「お気をつけて、ありがとうございました」

ったく微塵もありがたくないけどな。何だよ名残惜しげに何度も振り向くなよとっとと帰りやがれ。
いや……あれは絶対寄り道するな、だって明らかに自宅のある方向じゃなくて繁華街に向かってんじゃん。
バレたときの言い訳に俺を使おうとしてただろう、もうさすがに勘弁してくれ。

で、部長、あなたは結局何しに来たわけ? 今回の出張、当初は全て俺に丸投げだったよね、電話対応から打ち合わせ、資料の作成から日程調整まで全部俺にさせてたよね。
なのに、やっぱり茅ヶ崎くんだけじゃ大変だよね――とか言っちゃって、途中から出張に合流してきたけれど、あなたがいなくてもきっと円満に終わりましたよ。
途中合流に相手先の担当が驚いて苦笑い浮かべてたの、全く気付いてないですよね、あなたが打ち合わせ中に離席している間、来ちゃったんですかお守りが大変ですね――って同情の眼差しで言われましたから。

部下のお手柄を横取りするタイプじゃないけれど知ってますよ、俺の出張先に顔を出した最大の理由は歓楽街での観光……でしょ?
所謂、接待を伴う飲食、そして女性との更に濃密な交流を目的としてますよね、それを経費で落とすこともありますよね。

一部社内では噂されてますよ、あなたの評判だけならともかく、万が一飛ばされたり首が飛ぶことがあったら、路頭に迷うのはあなただけではありません、家族もですよ。
今回もです薄々……いや、完全にバレバレですから、そろそろ自重したほうがいいんじゃないですか、あなたが勝手に自滅するのか構いませんけど巻き込まれたくありませんから、俺は無実です。

「うぅっ、綴の飯、食いたかった」

綴と一緒に住むようになってから初めての、少し長めの出張だった。
とはいっても福岡支店を拠点に九州エリアに出向く約二週間、海外向けの大型プラントを抱えている企業からしてみたら一ヶ月未満なんて大した期間じゃないけれど、俺にとってはしんどい。
綴と離れることはもちろんのこと、推しイベ期間に丸被りだった、結局資金力に物を言わせて深夜に爆走したけれど、危うくNEOに抜かれるところだった、超ヤバかった。

そもそも定時に終わるわけもなく会議は延び、その後も夜な夜な会食に付き合わされて、飯も酒もきっと美味いんだろうけど味わえる気分にはならなかった、日々の寝不足と心労が溜まる一方だ。
綴の小言を聞きながら失敗して焦げた目玉焼きと食パンをかじるほうがよっぽど美味い、目の前にほにゃほにゃの笑顔まで添えてあったら、それだけで極上の飯じゃないか。

相手先の顔色を伺いながら笑顔を貼り付けて食う飯は、案の定途中から胃が痛くなってきて、これは酒のせいなのかはたまた精神面からくるのか……まあ、どっちもだろうな。
とにかく、ロクな休みもなく連日あちらこちらと連れ回されてトドメは最後の三日間、特段用件もないのにやって来た部長の登場、もう何も思い出したくないからほぼ全部省略するけれど、危うく貞操まで持っていかれるところだった。
俺を本サロやら箱ヘル、ソープ等々連れて行こうとするなよ、全く求めていません興味ありません、充分間に合ってます予算の問題ではありません。
あの後部長は結局一人で行ったのかな、まっ俺にはどうでもいいけれど。

「腹いっぱい、しんどい」

最終日の今日は予定より半日以上早く終わらせることが出来て、あとはもう直帰だからこのまま空港に向ってそこで軽く飯食って、そんでウチに帰ったら風呂入って綴の飯食って、夜は久しぶりに……なんて考えていたら。
油断してたんだろうな、俺の口元はすっかり弛んでいたらしく無意識に、炒飯が食いたい――と零していたらしい、そこで運悪く部長の耳に届いてしまったのが運の尽き。

まだ時間はあると空港に行く前に中華専門店に連行され、昼前から山盛りの炒飯とその他諸々食わされた。
確かに美味い、美味いんだろうよ世間では、でも俺は綴の作る炒飯が食いたかったんだ、レタス炒飯と肉多めの手作り餃子、寮の中庭で皆で作ったじゃがいもから作るポテトフライと、そしてコーラと。
俺のささやかなプランが全部台無しになった、さすがにもう胃袋には微塵も隙間がない、そして満腹中枢が刺激されれば今度は睡魔が襲ってくる、もう寝たい。
綴の匂いがする枕を抱えて干したてのふかふか布団に包まりたい、そして綴がお疲れさまって言いながら頭を撫でてくれればもう最高。

眠いといえば帰りの飛行機もビジネスなのに隣に座られて休んだ気がしなかった、勝手に座席変更するなよ、何で一人にさせてくれないのさ。
目を瞑ることされ許されない状況でマシンガントークに付き合わされそのまま羽田に着けば、まだ時間があるだろうと再び繁華街へと誘われた。
当然丁重に丁重にお断りした、いったい何考えてんだよ仕事と私用をちゃんと分けろよ、そりゃああなたは楽しいだろうよ嬉しそうだな、でも俺はさすがにもうひとりになりたい。
そのまま永遠に消えろ、マジで。

……バカだわ、頭が回らなかった。浜松町からタクればよかった。

くそ重いキャリーケースをゴロゴロと転がしながら電車を乗り継いで、漸く綴と住むマンションへと到着する。
驚かそうと思っていたので綴には早めに帰れることは前以て連絡していない、外からベランダを見上げると窓は閉まっていたが洗濯物が干してあった、二週間もいなかったから当たり前だが、綴の分しかなくて寂しい。
部屋にいるかどうかは分からないがそのままエレベーターに乗り込む、使い慣れたボタンを押してドアが閉まるとそこで漸く帰ってきたことを実感した。

「ヤバ、急に眠くなってきた」

安心したからなのか疲れが一気に襲ってきた、早々意識が遠退きそう。
一刻も早く綴に逢いたくて、その匂いや気配のある場所に辿り着きたくて……でも急に重くなった身体は思うように動かない、エレベーターホールから玄関までがやたらと遠い。
漸く辿り着いてドアノブを回せば当然施錠はされている、防犯の事を考えたらあたり前のことだけど今だけはめちゃくちゃもどかしい、現実的には無理な話だが、呪文を唱えたら開いたりしてくれないだろうか。

「開けてくれ、俺だよ」

鞄からカードキーを取り出すのも面倒なのでとりあえずインターホンを連打する、そんなことをする来客はいないのでいればすぐに俺だと気付き出て来るだろう。
だが、そのささやかな期待も虚しく扉が開く気配は一向にない、これは寝ているのかはたまた不在か、いったいどちらだろう。
やっぱり帰るときに一言でもいいからLIMEしとけばよかった。

……あれ?

そこで重大なことに気付く、俺が綴に最後に連絡を入れたのはいつだっけ?
そんなことを思いつつ鞄を漁りカードを取り出すと暗証番号四桁を入れ開錠する、番号は二人で同居を始めた日付。
扉を開けると我が宅の匂いがふわりと漂う、刹那、漸く緊張感から全解放されたことを実感する。

「つーづる、どこ? いる? 至さんのお帰りだよ」

ところが、期待した返事は戻ってこない。
寝ているか、それとも執筆に集中して気付いていないのか……靴を脱いでその場で荷物を放置して、リビングからキッチン、そして寝室、書斎と、全ての部屋を覗いて確認してみたが……綴の姿はなかった。

「まじか、がっかりだわ」

自分の機嫌が一気にどん底へと下降するのが分かる、だが残念だが仕方がないこと、帰宅時間を連絡をしない自分が悪いしそもそも予定を確認するどころか出張期間中も推しイベを最優先して、それを自分への言い訳にして途中から連絡を疎かにしてしまった。
仕事も拘束が長く気持ちに余裕がなかったとはいえ、一言くらいLIMEすることは出来ただろう。

……ん? でも待て、綴からも連絡はなかったよな、これってお互いさまだよね。

「……とりあえず、風呂るか」

とはいえ此処は寮ではない、綴か俺が準備をしなければ風呂や飯があるわけじゃない、そしてそもそも俺が率先して家事全般をするわけがない……というか苦手なのでいまだに要領よく出来ない。
元々面倒臭がりなので早々にお湯を溜めるのは諦め、軽くシャワーだけ浴び諸々の片付けは全て放棄した、今日はもう勘弁してもらおう明日片付ける、とにかく眠い。

髪もロクに乾かさず久しぶりの自宅ベッドに思い切りダイブすれば、ふわりと漂うお日様の匂いと綴の匂い、その陽射しも少し傾き始めて、あぁ多分洗濯物を取り込まないとダメだよなぁと思っても、真っ先に面倒臭さが上回る。
まぁ洗濯物を干しっぱなしだったからって何も地球が滅亡するわけじゃない――そんな言い訳を心の中でしながらウトウトとしていると、遠くなり始めた意識の向こうで、玄関扉が開く音が聞こえた。
ごめん、さすがにすぐには反応出来ないや。

「やべぇ、玄関開いてた……って、えっ、いたる、さん?」
「ぅ……う、ん……おつ」
「廊下に荷物、めっちゃ散乱してますが」
「とり、あえず、ねた……い」
「えっ、あ……あぁっと、お疲れさまです。えっと、至さんご飯は? 実は」
「……いや、いい。いらな……――」
「そう……ですか」

まだ昼前に食ったやつが消化しきれてない気がするし、そもそも今は食欲よりも睡魔、綴チャージよりも睡眠欲を満たしたい。
綴の作る飯はもちろん俺好みで美味しいし久しぶりに食べたいけれど、その気持ちに身体が追いつかない、連日の接待飯で胃袋が悲鳴を上げている、トドメは部長との昼食、暫くは受け付けられない。

「明日は、お休みですか」
「……う、ん……なに、も」
「あの実は、俺も明日は予定がな……って、えっ」
「つづる……ごめ、あとに……して」
「……すみません」

今は何を言われても頭が回らない、聞くのも考えるのも話すのも億劫だ。
二人きりだと気が弛んで安心するのか、自宅ということも相俟って外にいるときには出来ているはずの気遣いが今は全く出来ていない、こういうときにすげぇ甘えてんなって思う。

もう寝落ち寸前で意識が遠退く、綴の言葉も表情も温もりも何もかも、一切が身に入ってこない。
久しぶりに顔を会わせたというのにこのありさま、悪いなとは思うけれど自分じゃどうしようもならない。
もうダメだ瞼が重くて開かない、起きたときに改めて聞けばいいか――そう諦めた途端、俺の意識は見事に夢の世界に落ちた。

 

そして、一眠りして起きたときにはすでに時間はほぼてっぺん、自宅ベッド最高すぎて思うより深く眠ってしまったらしい、だがおかげで頭も身体も久しぶりにすっきりした。
しかし、覚醒したところですでに夜も更け綴は完全に就寝モード、いつの間にか隣に眠る身体を、一応揺すってみたが案の定反応はない。
寂しいとは思いつつ申し訳ないが、少しだけ安堵してベッドをそっと抜け出すと、そのままリビングへと場所を移動する。
もしかしなくても久しぶりに気兼ねなく一人の時間が楽しめる、まずは急いでログボとデイリーを回収し、出張先じゃ楽しめなかった大画面でのシューティングゲームに勤しんだ。

途中から合流しやがった部長へのイラチを解消するためにひたすら目の前の敵を撃ちまくる。
ふと、もし此処が寮だったら万里を呼び出して共闘するとこだなと思ってしまったあたりは、さすがに綴には言えない。

……いやでも、声を掛けてみたらアイツのことだ、まだ起きているかもしれない。

そう思いさっそくスマホを手にした途端、見事なタイミングで寝室の扉が開く、つまり……まあそういうことだろう、今夜は止めておいたほうがいい。
眼を擦り寝ぼけ眼で綴がトイレに向う姿に若干ビビリながらも、見つからないようにそっとスマホの画面を消して傍らに置いた。

用を足して寝室に戻るときに俺に何か言いたそうにしていたけれど、あえて気付かないフリをした、今から綴を起こしてあれこれするには気分が乗らないし、そもそもそこまで体力は回復していない。
画面に新たな敵が出現したせいにして綴に、ごめん手が離せない――とアピールすれば、眠そうな目でこくりと頷きそのまま寝室へと戻った。
俺はおやすみの挨拶をそこそこに、再びゲームに熱中した。

一緒に過ごせるのは久しぶりなのに何やってんだという自覚はある、綴とゲームを同レベルで天秤にかけるのもおかしな話だけど、でも今夜はゲームの誘惑に勝てない、久しぶりなんだからいいじゃんと、自分に言い訳をする。
そうして、もう少しだけ後もう少しだけキリがいいところまでとズルズルプレイをしているうちに、気付けば俺は夜が明けるまで一人、仮想世界に没頭していた。

 

 

「る……さん、いたる、さ……」
「ぅうっ」
「ったく、至さんっ起きてくださいよ」
「うおっ、びびった。んあ……まだ、もう少し……な」
「昨日までの洗濯は? 先に出して下さいよ」
「荷物、かってに……あさっていいよ」
「もう、昨日のうちに出しといて下さい」

多分、俺が寝てから三時間くらいしか経っていないと思う、いくら昨日の夕方から夜中まで寝てたとはいえ睡眠不足には変わらない、朝日は眩しいし綴が騒がしい。
せめてあと一時間、いやあと二時間は微睡みたい、布団に潜り込み再び眠りに就こうと試みる、綴のわざとらしい大きな溜息が聞こえたが気付かないフリをする。
そうやって二度寝を決め込んで、うとうととイイ気持ちになったところで突然の通知音、俺としたことが失態だ設定をオフにしていなかった、誰だよこんな時間に煩いな。
無視をしようと思ったけれど念のため、一応確認だけはしておくかと手探りでスマホを探していると、先に見つけたらしい綴から無言で布団の中に放り込まれた。

……えっ、不機嫌?

いやいや、一瞬そんな思いが過ぎったけれど小言はいつものことだしある意味挨拶みたいなもんだし、ほら今だって物音でしか確認出来ないけれど多分、俺の荷物から洗濯物を出してくれている。

「袋にまとめてあるの、全部回しちゃっていいんですか」
「うん、そう……ヨロ」

ほら大丈夫、それが分かれば安心して堂々とスマホをチェック出来る、日頃から後ろめたい行動はないからその辺は問題ない。
画面をスライドさせ、とりあえずは今来た最新の通知からチェックしていく。

「うおっマジか、ナイスタイミングだな」
「ちょっ、いきなり飛び起きたらびっくりするじゃないですか」
「あ、ごめん悪い。俺、ちょっと出てくるわ」
「……へ?」

ショッピングモールにある書店から、事前に頼んでおいた本が無事に確保出来たと連絡があった。
予約の時点で完売してしまった大人気ゲームの設定資料集、発売当日に手に入れたかったのに仕事が忙しすぎて予約が出来ず、初版を手にする可能性を失っていたのだが。
ゲームの神は俺の味方をした、どうしても諦めきれず直接店舗に出向き尋ねてみると、こういうときは度々キャンセルが出るので可能性はあると一縷の望みを与えてくれたのだ。
もしもキャンセルが出たら絶対引き取りに来るから連絡が欲しい――と、恥を忍んで必死に懇願してよかった。

ありがとう、引取りに来なかった誰か、ありがとう、確保してくれた店員さん。
当然眠気は一気にぶっ飛んだ、支度もそこそこにまずは速攻で宝物を取りに行く、今日の始まりはそれからだ、週末は隅々まで舐めるように読みまくって、その世界観にどっぷり浸るぞ。

「車で行く、すぐに帰ってくるから」
「ちょっ至さんっ、あんた出張から戻ってきてまともに飯食ってないでしょ」
「大丈夫、耐えられなかったら途中でゼリー飲料でもぶっこんどくわ」

綴の呆れた表情なんて何のその、今の俺にとって最優先は設定資料集、スマホと財布と鍵、最低限のものだけ持って俺はすぐに自宅を飛び出した。
車で十五分程の場所にあるショッピングモールはこの辺りでは一番大きく、日用品や食料品はもちろんのこと、雑貨や衣類など一通りのものはなんでも揃う。

……ついでに何か買うものあったかな、訊いてこなかったわ。っていうか俺、綴にどこに行くか伝えたっけ?

そう思いながらも漸く手にした代物に俺の気分はハイテンション、心の中のニヤつきが止まらない、今すぐにでも開封式をして拝みたい。
そんな焦る気持ちを抑え早歩き気味で駐車場に向う、エレベーターを待つ時間さえ惜しくて、俺はすぐ脇のエスカレーターで上階に向かった。
すると、途中階ですれ違いざまに降りてきた人物が、俺に気付き驚いて声を掛けてきた。

「至さん? こんな時間に何してるんすか、早いっすね」
「おっ、万里じゃん。お前こそ何しに来たの?」
「俺は下のサ店のモーニング目当て、あとはついでに服でも見てこうかなって。で、至さんは?」
「ここの本屋に用があってな、引き取りに来た」
「へぇ、午前中に来るとか珍しくないですか。ってかあれ?」

万里が俺の周りをきょろきょろと見回す、もしかしなくても綴を探してんのか。
おいおい何で不思議そうな顔をするんだよ、別に毎度セットで出歩くわけじゃないし、そもそも綴は家のことで忙しそうだったし、っていうか今回は最初から一人で来る予定だったし。

「……何、綴に用でもあった?」
「いや、特には。ってか至さん、昨日出張から帰って来たばかりですよね」
「あ、うん。何で知ってんの」
「あぁ……綴から。アイツ、数日前まで寮に篭って書いてたから」
「えっそうなの、知らなかった」

まぁ確かに二週間も留守にしていたら途中色々あるだろうよ。
特に綴の仕事は不定期不規則だし、執筆作業は一人でも打ち合わせや稽古になったら人と関わる機会は俺が想像するより多いだろう。
そういうのをいちいち気にしていたらキリがないし、逐一報告されても反応に困るし、でも、何だかなぁ。

「至さん忙しかったんですか。綴に全然連絡しなかったでしょ、心配してましたよ」
「まぁ、出先で連れ回されたからね。でもさ、あいつだって連絡してこなかったし、お互いさまじゃない?」
「綴は仕方ないっしょ。急ぎの修正が入ったらしくてさ、出演予定だった役者が降板したとか何とかで。すっげぇバタバタしてましたよ」
「……へぇ。で、何故に寮でカンヅメ?」
「それな、監督ちゃんが次の公演のことで相談があったらしいけど、全然連絡がつかないから心配になって、左京さんと臣と三人で自宅まで行ったらしいっす」
「えっそうなの、俺がいない間に限って何だよもう」
「万が一の為に鍵、預かっといてよかったっすよ。綴、廊下でぶっ倒れてて危うく救急車呼ぶとこでした。まぁ結論、寝てただけなんですけどね。で、左京さんに怒られて寮で書けって半ば強制的に」
「マジか、倒れんの久しぶりなんだけど。あぶねぇ助かった」

何で俺が知らないことを万里がよく知ってんだ、しかも聞いている限り万里は当事者じゃない。
確かにそんな状態になった綴を最近は見なくなったが、でも然程珍しいことでもない、だが今回は違う、
多分、万里だけじゃなく寮のヤツらは全員知っている事態、そして俺だけが知らない出来事。
出張が入っていたから仕方がないのは分かってる、訪問して見つけるという偶然に逆に助かったとは言えるけれど、でも、追々でもいいから誰か俺に一言でもいいから連絡くれりゃあいいじゃん、LIMEぐらい送れんだろ。

と思ったけれど、これじゃ巨大ブーメランだ、綴より推しイベを優先した俺は連絡云々を言える立場じゃない。

「どうせ今だって至さんに言ってないんでしょ。そんときも至さんに伝えようか迷ったけど、綴が止めたんすよ。至さん忙しそうだし邪魔しちゃ悪いって」
「そう、だけどさ」
「まぁ多忙でも推しイベは零さず、たるちは終始上位にいたから余力はあんだろ、気にすんな。それより綴は脚本に集中しろって言い聞かせた」
「間違ってないだけに、あとで左京さんにどやされそう」
「あぁ、あと真澄が切れてたな。至、使えない――って」
「うげぇ」
「まっ、一応今回は不在だったから仕方ないんじゃねぇ? むしろ綴が説教されてた、無理すんのも程々にってな」

そんなに忙しかったなんて雰囲気、綴からは微塵も感じなかった。
だって俺が帰ったときには綴はいなかったけど、洗濯物は干してあったし部屋も整理されて綺麗で布団も干したてのふかふかで、冷蔵庫には冷え冷えのコーラもあって戸棚には様々な味のポテチが補充されてた。
確か食卓にはパンが置いてあって、多分だけどご飯も炊いてあったと思う。

「で、昨夜の飯どうでした? 美味かったでしょ、あれ」
「えっ何、あれって。美味い? 知らない」
「……マジかよ。至さん、昨日帰るの遅かった?」
「いや、むしろ予定より早かった……から、爆睡した」
「あぁーじゃあ食ってねぇならいいや。聞かなかったことにして」
「それは、さすがに……むりぽ」

会話を濁して立ち去ろうとする万里の腕をとりあえず掴んで引き止めて、簡単でいいからとりあえず説明ヨロと懇願する、呆れた眼差しとちょっとだけ哀れんだ感じの、何とも言い難い雰囲気が漂ってちょっと居心地が悪い。
暫く口を噤む万里に、次のイベは激レアアイテム持参でちゃんと援護するからと唯一の得意分野で交渉すると、大きな溜息を吐きながら、しゃーないっすね――と、髪を掻きあげながら言った。
くそ、そういう態度までいちいち絵になるヤツだな、ムカつく。

「俺、昨日休みだったんで寮にいたんすけど、昼過ぎにキッチンに顔出したら綴が来てて、同じく休みが被った臣と飯作ってた」
「うん……で」
「どうやら新作レシピを試したかったみたいで、無事に美味しく出来たからってタッパーに入れて持ち帰ってたぜ。俺も味見で食わせてもらったけど、まぁ明らかに至さん好みだよな」
「わざわざ、寮で飯作り?」
「出張から帰ってくる至さんに、美味いもん食わせたかったんだろ。臣にコツとかアドバイスとか色々確認してメモしてたし」

ヤバい、これはマジでヤバいヤツだ……背中に変な汗が滲んできた、頭の芯がクラクラして心臓もバクバクする。
思えば俺、出張から帰ってきてまだ家で一度もまともに飯食ってないわ、唯一食ったのは真夜中に開けたポテチ、それだってまだ半分ぐらい残ってる。
いや、俺の腹具合はいいんだ、問題はそこじゃない、大事なのはそこじゃない、俺が知らなくて万里は知っている俺好みの味付けっていう料理の存在、何だよそれ。

「で、綴は今日何してんの」
「仕事の予定は、多分ない……かな。洗濯してた」
「は? ちゃんと予定把握してないじゃん。洗濯ってさ、もしかしなくても」
「う……うん。俺の出張の」
「ひでぇ、綴にやらせて自分は……その本だって至さんのでしょ」
「あ、うん、設定資料集、今朝連絡が入ったから、速攻で」
「他には? 綴に買い物とか頼まれなかったの?」
「ごめ……訊いてこなかった」
「いやいや、謝んのは俺にじゃなくて綴にだろーが」

出張が大変だったのも分かるけど、忙しいのは至さんだけじゃないっしょ――って、尤もなことを言われ一切反論することが出来なかった、間違いなく万里の言う通り。
自分ことに精一杯で、当たり前のようにまず自分を最優先して……でも、それが出来てしまうのは、いつだって綴の支えがあるからなのは重々承知だけど。

「なんか綴、至さんの都合のいい家政婦みたいじゃん」
「……え、そんなつもりは」
「でもさ、傍から見たらそう思われても仕方がないんじゃねぇの、綴の健気さの上に胡坐かいてさ」
「そ、そんなことないっ……はず」
「なあ至さん、だったら何のために二人で寮を出たの? 綴の負担が増えただけじゃ意味ねぇっすよ」
「…………うっ」

頭が真っ白になる、言葉が……何も出なかった。
同棲生活の根底を覆しかねないほどの、万里が発したその一言。

「とりあえずいいから早く帰ったら? そこのケーキ屋でも寄ってさ。まずは謝るのが得策なのかそれは分からねぇけど、とにかく帰れ。話はそれからっしょ」
「う、うん。分かった、サンキューな」
「綴にヨロシク」

万里のアドバイスに従って、まずは目の前にある店で綴の好みそうなプリンアラモードを買った。
他にも色々買い足さなきゃいけないものがあるかもしれないけれど、部屋の様子は綺麗に整頓されていたこと以外、記憶がない、何もかもがうろ覚えで、いちいち思い出して確認とか出来ない。
俺はどんだけ家のことを綴に丸投げしてんだろう、同棲した最初の頃と比べて随分とおざなりになった気がする、協力しあって一緒に何かをやるなんてこと、この頃はあっただろうか。
自発的にすることよりも綴に促されてやることのほうが多くて、しかも素直に聞くこともロクロクしないで小言が煩いなとちょっとだけ感じてしまうようにもなった。
綴が悪いわけじゃない、相手を思い遣るという当たり前を忘れた俺のほうが反省して直さないといけないんだ。

車を発進させ自宅に戻るまでの道程に殆ど記憶がない、よく事故ることなく無事に帰れたなって思うレベル。
昨日からのことを振り返り思い出してみると、俺はとてつもなく残酷に適当に綴をあしらっていた、同行した部長が云々なんて綴に全然関係ないじゃん。
久しぶりに顔を合わせたはずなのにそのときの表情が思い出せない、綴に触れて温もりを交わすどころか会話さえまともにしていない、さっきショッピングモールで逢った万里とのほうがよっぽど喋ってた。

俺は以前、綴にこう言ったことがある。
確か脚本を書き上げた次の日、まだ寝不足も解消されていなくてヨロヨロしながらそれでも講義に遅刻しないようにと慌てて寮を出るときに掛けた声。
今日ぐらい遅れて行っても大丈夫じゃない? という問いかけに戻ってきた返事に俺は、一瞬言葉を失った。

……代返頼まれたから、遅刻出来ないんです。

自分の状態よりもまずは頼まれた相手のことを優先し、当たり前のようにやろうとしてしまうほどの人の良さ。
それで綴が身体を壊したら意味がないだろう、お人よしすぎる、こういうときは自分を最優先しろ、人に都合よく利用されんな――そう言った。
怒気が強くなってしまい半ば説教じみてしまったけれど、そういうことが綴には日頃から多々あったから、思わず言わずにはいられなかった。

そしたら、綴は眉を下げ少し困った表情ででも少しだけ微笑んで、至さんに心配されて嬉しいですありがとうございますって、予想外のことを言った。
その後、何故だか無性に居た堪れなくなってそのまま強引に腕を取り、遠慮する綴を車に乗せ大学まで送った。
あれは確か、まだ付き合う前だったと思う。

「何やってんだよ、俺」

利用されんなよ、つけこまれるな、気をつけなよって言ったのはそう、紛れもなくこの俺、そう言った張本人が現状、綴の善意につけこんでこき使っている、そんなことのために一緒に住もうと言ったわけじゃないのに。
それが意図的じゃなくて無意識だから性質が悪い、しかも万里に言われるまで気付かないなんて最低だ。

「綴……ごめんな」

早く逢いたい、逢って直接伝えてそして、思いっきり抱きしめたい。

だが、車を降りて急いで家に戻ってみたらそこはもぬけの殻だった、肝心な綴がいない。
さっきまでいたはずなのに部屋中どこを探しても綴の気配がない、昨日出張から戻ってきたときと何等状況は変わらないはずなのに、今は嫌な予感しかしない。
さすがに俺が買い物に行ってからそんなに時間は経っていない、なのに予定はないっていったはずの綴がいない。
書斎を覗いたらいつも使っている鞄がない、多分スマホも財布も鍵もない、意を決し電話してみたが、電源が入っていないのかそれとも電波が悪いところに入るのか、繋がらない。

散らかしたはずの出張の荷物は廊下の端にきちんと整頓され、ベランダには俺の洗濯物がすでに干してあった、寝起きのままだったベッドも綺麗に整えられている、ただそこに綴だけがいない。
いったいどこに行ったのだろう、近所のコンビニくらいならいちいち鞄は持って行かない、もしかして、身の回りのものを置き去りに貴重品だけを持って出て行ったのか……俺すらも、置いて。
きっと俺の昨日からの態度に呆れてキレて突き放されたんだと思う、知らなかったとはいえこの二週間、忙しかったのは俺だけじゃなかったのに労いの言葉ひとつ掛けなかった、留守番してくれてありがとうって言うこともしなかった。

 

まずは自分だけで探すかそれとも皆に連絡するか否か、どうしようかとあらゆる思案を思い浮かべ室内を落ち着きなくウロウロとしていると、突然インターホンが鳴った。
突然の音にビクリと身体が大きく反応する、俺はすぐに綴が戻ってきたのだと思った。
きっと近所に買い物に行っただけで荷物の多さから手が空かなくて、だからそれで俺に鍵を開けてくれと、そう頼んでいるのだと思った。

違いない、きっと綴だ――そう思い、俺はインターホンを見て確認もせず、勢いよく扉を開けた。
するとそこには俺の知らない、若い女性がひとり、立っていた。
酷く驚いた女性は俺を見て更に驚き、動揺を隠さないまま立ち尽くしている、そして定まらない視線のまま緊張した声で俺に問うた。

「あ、あの……こちら、皆木さんのお宅ではないのですか?」
「え……っと、どちらさまですか」

……誰、あんた。綴とどういう関係?

喉まで出かかったその言葉を寸前のところで飲み込んで、とりあえず人受けのいい笑顔を貼り付けてみたが、多分失敗している。
突然の出来事に、まずは俺自身が対応出来ていない、何でよりにもよって綴が不在のときに来るのかなぁ。
いや、不在のほうがかえっていい……のか?

いったい誰なのか、すぐに答えをくれない彼女にどう対応していいか分からず小さな溜息を漏らすと、彼女はピクリと肩を震わせた、その仕草はわざとなのかそれとも緊張からなのか。
いずれにしてもこのままでは埒が明かないのでもう一度、どちらさまですかと訊ねてみた、するとその答えより先に彼女は手にしていた物を俺目の前に差し出した。

「こ、これは……ん? 何か、見覚えがあるような。綴の?」
「はいっ皆木さんのですっ。あぁよかった、お宅は間違ってなかったですね」
「あ……はい、そうです。でも本人は今、留守ですよ」
「大丈夫ですっ、渡しといて頂けますか」

訪問先が間違っていなかったことに安心したのか、彼女は明るい声でそう言うと満面の笑みで俺にそれを手渡した。
おいおい、いくらこの家から出てきたとはいえ、俺が誰だか知らなくても大丈夫なのか? 慣れるのが早くないか?

「あの、不躾な質問ですが……すみません、あなたが何故、これを」
「はいっ、実は先日、皆木さんがうちの自宅のほうにいらしたときに置き忘れてしまったみたいで」
「え……そうなんですか」
「次に会うときでいいかとも思いましたが、お仕事で使うかもしれないので」
「あぁ確かによく使います……助かります、ありがとうございます」
「それじゃあ私、ごめんなさい急ぎますんで。皆木さんに宜しくお伝え下さいっ」

そう言いながら勝手に俺の手を取りぶんぶんと握手を交わすと、大きく手を振りながら走り去っていく彼女。
突然やってきて嵐のように去っていくその後姿を、俺はただ呆然と見送るしかなかった。

「……で、結局誰?」

俺が知らないその人のところに、俺がいない間にお邪魔してたのって何のため?
もちろん、綴の仕事関係の人間を俺が全員把握しているわけがない、それは逆に俺に対しても言えること。
でも、俺と綴が徹底的に違うのは企業に属しているか否か、俺の場合いざというときは人間関係をある程度まで追いかけることが出来る、でも綴は違う。
綴の仕事は人間関係が複雑に入り組んでいる、業界は人の出入りも激しいしそこに解禁前の情報が絡めば守秘義務も発生してしまう、今どういった仕事を誰としているかなんて、綴から直接聞かなければ全然分からない。

……仕事関係? でも、自宅に行ったって。どういうこと?

これはもしかして、いや、もしかしなくても、俺たちもう終わり? ヤバい、突然の終止符なら俺泣きそう、綴のいない人生なんて考えていなかった。
でも、ちゃんと反省してきちんと謝って今までの生活態度を改めたらまだ猶予はあると思いたい、大丈夫だよねまだ間に合うよね、修復可能でしょ?

……綴、帰ってきて。

きっと俺は自覚のないまま綴を徐々に追い込んで色々と我慢させていた、同棲を始めた頃は今とは違ってもっと積極的に家事を手伝っていたはずなのに。
なのに俺はだんだんと、ことある毎に様々な言い訳をして綴が許して甘やかしてくれるのをいいことに、生活のほぼ全てを頼り切って寄り掛かって、結局俺だけが楽な道を選んでいった。

出張から帰ってきてからも疲れたことを言い訳に何もしなかった、後から万里に聞いたけど、綴だって疲れていたはずだよね。
なのに俺は、荷物も片付けないでゲームばっかりして綴と大した会話もせず、ごろごろだらだらと寝腐ったと思ったらそのまま気ままに行く場所も告げず外出、その間、綴はひとり変わらず黙々と、全ての家事をこなしていたんだ。
万里の言うとおり、完全にただの家政婦扱いじゃん。
どうしよう、こんなことになるまで気付かないなんて、彼女まで登場となったらもうお別れ解消決定事項じゃん、まだ彼女じゃないかもしれないけれど、でも自宅まで行く仲なら可能性充分アリアリじゃん。

「だめだ俺、今なら軽く死ねる」
「どうしました、ガチャがドブりましたか?」
「ひっ……うわぁっ、つ、つつつ、つづるの、げげげんかくっ」
「あぁもうっちょっ、声でかっ」

突然の綴の登場に俺の肝が冷える、一気に寿命が縮んだマジこの場で死すると覚悟した。

「何度も声掛けましたよ、先に帰ってたんですね」
「俺、いやだよ別れたくない。ちゃんと悪いところは直すから、一度だけでいいからチャンスをちょうだい」
「えっ、は?」
「俺、もうお前なしでの人生なんて考えられない。好きなんだずっと、綴しかいらない、綴がいなくなったら俺、この先どう生きていいか分からないよ。ずっと一緒にいたいだからお願い、出て行かないでくれ」

そう言って思いっきり抱きついて綴の胸に縋った、いい年こいた大人が必死になにやってんだよと思うけれど、でも他のモノは全部譲れても、綴だけは誰にも渡したくない。
だって……だから俺は自ら告白をして恋人になって、でもそれだけじゃもの足りないから一緒に住もうって言った、今の綴だけじゃなくてこの先の綴の一生全部、ほしいって思ったから。
何があっても何度転んでも、振り返って反省してそこからまた手を取り合って、何度も何度もやり直しても、ずっとずっとずっと綴と共に過ごして生きたいから。
喜びも困難も全て綴と分かち合いたい、綴以外の人なんて考えられない、代わりなんていないよ。

「…………」
「つ……つづる?」

だが、そう俺だけが願ってもひとりじゃ決して叶わない夢。
先程から何も言わない綴に不安が過ぎる、俺の言葉を聞いても一言も返ってこない、必死過ぎてみっともない姿を晒して、だからそんな俺に見切りをつけたのだろうか、それとも心は離れているのに今更ということか、呆れてものも言えないということなのか。
俺はおそるおそる顔をあげそっと綴の表情を伺った。

「……え?」
「い、たる…さん、何で急にそんなこと。熱烈過ぎて俺、もう……耐えられない」
「えっ、えっ」

そこには予想だにしなかった、まるでゆでだこのように真っ赤に染まって固まっている綴の姿、瞳には今にも零れ落ちそうなほどの涙が浮かんでいて。
その姿に呆然としていると、震える小さな声でありがとうございますと言いならそっと、触れるだけのキスを送られた。

「ど、どういこと?」
「どういうこと――ってどういうこと、ですか」
「綴、家出じゃないの? 俺のことイヤになってもう戻って来ないかと思った」
「えっ何でですか、急に。俺、心当たりないんですけど」
「えっと……こ、これ」

俺は玄関の傍らに寄せておいた、先程の女性に届けられたものを綴に渡した、それは日頃綴が執筆しているときに重宝している電子辞書。

「あっ、どこにあったんですかそれ。おかしいな、部屋中どこを探してもなかったのに」
「探してた?」
「そうですよ、てっきり寮かと思って慌てて向かったらないって言われて、でも心当たりもなくて」
「女の人……若い女性が、届けに来た」
「若い、女性? 誰だ」
「あ、あれ?」

てっきり綴と親しい間柄だと思っていたのにすぐに思い出せないあたり、俺の勘違いだったのか? いやでも、自宅に来たと彼女は言っていた、家にあがるなんて余程だろう、俺だったら部屋になんか容易に入れさせない。

「その人、どんな人でした?」
「え、っと、髪は肩くらいのストレートで、大きめの瞳に眼鏡で、背がちょっと低かった」
「じゃあ、少し幼顔で顎にホクロ、ありませんでした?」
「あっ、そうそう、ビンゴ」
「あぁ、あそこに忘れてきたのか、予想外で見つからないはずだ」

何か、安心して脱力しているだけで、俺にその女性の存在がバレたのに動揺する気配は一切なし、いったいどういう関係なのだろう、訊いても大丈夫なのだろうか。
関係性を知るのも怖い気がするけれど、でもこのままじゃいつまで経ってもずっと誰だったのかと気にするだろうし、再び似たような状況に陥った場合に、余計なことまで穿り返してしまう可能性がある。
しこりを残したまま引きずるよりも、早めに撃沈したほうが立ち直りは早いだろう……多分。

「あの、ところで……あの方はどういったご関係で」
「ご関係? 至さん妙に仰々しいですね。仕事関係の方ですよ」
「実は、ご自宅まで伺ったと、お聞きしましたが」
「あーーーっ、本当は情報解禁前で言うのは駄目なんですけど、至さんその感じだと、多分誤解してますよね」
「誤解……なの?」
「あの方は、次に仕事する監督さんの、奥さんです」
「……へ?」

綴の話だと、まだ脚本を練る段階なのでどこにも情報を出していないが、今度その監督と綴がタッグを組んで長編映画を制作するらしい。
まだ企画の段階なので念のためにと事務所ではなく自宅に招かれ、そこで打ち合わせをしたというのだ。
例の奥さんは本当に若くて歳の差婚、十六歳も離れているらしい、俺は知らなかったけれど去年ネットニュースにもなったみたいだ。当然奥さんの方は一般の方なので写真は出なかったが、たとえ出ていたとしても俺は気付いていないだろう。

「で、俺たち別れるんですかね」
「あの、綴さんが宜しければ、この先もずっと、一緒にいて下さいませんか」
「当たり前です、至さん一人じゃ心配で生活させられません」
「うっ、面目ない。でも頑張ります」

いや至さんには絶対無理だろう――と、笑う綴に今度は俺から噛み付くようにキスをして、そして視線を交わし微笑みあう、何気ない日常に散りばめられた言葉のやり取り、ぬくもりの欠片、ささやかな倖せ。
その積み重ねが愛しくて、もっともっと欲しかったから、だからそのために一緒になって一緒に住んだ、共に歩み続けたいと願った。

「あっそうだ俺、プリン買ってきたんだった」
「わぁっいいですね、ご飯の後に食べましょう。至さんどうせまだでしょう」
「その通り、正解です」
「実は、昨日伏見さんとご飯作ったんですよ。冷蔵庫にしまってあるから食べましょう、美味く出来たんですよ」
「万里の言ってたのは、これか」
「あれ至さん、万里に会ったんですか」
「うんさっき、ショッピングモールの本屋に行ったときに」
「出掛けたのは本屋だったんですね、今度からはちゃんと言って下さい」
「……はい」

だいぶ遅めの朝食……というより、もうすぐお昼、それを食べたら俺が食器を片付けてそして近所をぶらり、綴と二人でのんびりと散歩をしよう、もちろん、ゲームの画面はそっと閉じて。
夕方には俺が洗濯物を取り込んで、一緒に肩を並べてながら夕飯を作って一緒にお喋りしながらご飯を食べてゆっくりお風呂に入ったら、その後はもうそのときの気分で流れに身を任せて……久しぶりに致しましょうかね。

「ところで万里、何か言ってました?」
「あ……綴にヨロシクって。あと、あんまり面倒掛けんなって」
「あはははっ、俺は好きでやってるんですけどね」

今夜は久しぶりに綴孝行、頑張りますか、いや……頑張らせて下さい。

 


―― 了 ――

素敵な企画をありがとうございます。

皆さんの作品を通して二人の倖せを垣間見られるひととき、とても楽しみにしていました。

アンソロへの参加は超がつくほど久しぶりなので浮いてしまわないか心配ですが、

ほんの少しでも温かい何かを感じて頂けたら嬉しいです♪

倖せのカタチって人それぞれ違いますからねぇ(しみじみ)

 

木南ヨーコ

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