これからもずっと同じ卓で
俺と綴が一緒に住むにあたって、何個か決めたルールの中に「ご飯は作れる方が作る」というものがある。家事は基本的に役割を決めているのだが、作る時間が決まっている料理だけはその日に作れる人が作ろう、ということになったのだ。脚本家として活動する綴の方が、会社員の俺よりも家にいることが圧倒的に多いため、普段は彼が料理を作ることの方が多い。ただこうして時々、俺が夕飯の担当になることがある。しかし、俺はあまり料理が得意ではない。実家にいたときも、寮にいたときも、台所に立つことなんて滅多になかった。そんな人が作る拙い料理を、普段から料理をしている人に出すのはなんだか気後れしてしまう。しかし、遅くまで打ち合わせをして帰ってくる綴に夕飯を作らせる方が申し訳ない。俺は腹をくくって、共用のエプロンに首を通した。
さてどうしようか、俺はキッチンに立ち腕を組む。時刻は午後の五時半。そろそろ夕飯を作り始めないと、自分の手際では夕飯時に間に合わないだろう。いつもキッチンに立ってくれる彼の料理を思い浮かべながら、俺はメニューをひねり出すべく頭を捻る。とりあえずキッチンの諸々を確認して、炊きあがっている米と野菜、卵があるのは確認した。こういうとき綴なら何を作るか。思い出すのは「美味しいっすか?」と幸せそうに笑う恋人の顔。出来れば、俺の作った料理でも同じように笑ってほしい。綴の好きなものを作ろうかとも考えたが、あんかけ焼きそばは料理初心者にはハードルが高すぎる。かと言って、レトルトを使うのも味気ない。この材料で作ることができて、俺でも出来るもの……。不意に俺の口から「あ」と小さく言葉が漏れた。そうだ、炒飯にしよう。
「ただいまっす」
玄関から綴の声がして、リビングのドアが開いた。
「おかえり。丁度夕飯が出来上がるから、手洗ってきな」
「あ、ありがとうございます!」
綴はリュックをリビングの床に置くと、洗面所へと消える。さて、仕上げるか……俺はフライパンに向き直ると、出来上がったばかりの炒飯を一口頬張った。……綴ほど美味しくはないが、まあ許してほしい。これが俺にできる精一杯だ。心の中で謝罪をしながら、お皿に盛りつける。二つのお皿を机の上に置き、コップに麦茶を注いでいるところで綴が戻ってきた。
「おぉ! 今日は炒飯っすか」
「まあ、ご飯残ってたし、ちょうどいいかなって」
会話を弾ませながら、麦茶も運ぶ。綴は既に席に座っていたので、俺はその向かい側に腰を下ろした。
「ごめんね、おかずは作れなかったから、昨日の漬物しかない」
「いやいや十分すよ」
俺たちは両手を合わせると、お互いに目を合わせた。「いただきます」と声を重ね、炒飯を掬い口へと運ぶ。
「んー……やっぱ綴の炒飯みたいにパラパラにならないな……」
「え、そうっすか? 美味しいですけど……あ、カニ入ってる」
「今日カニ缶が安売りしてたから、つい買っちゃった」
そんな他愛のない話をしながら食べ進めていく。今日は仕事帰りに猫を見つけただとか、好きな小説の続編が発売されただとか、来週の稽古でこういうことがしたいだとか、なんてことない話を共有しながら過ごすこの時間が、俺は好きだった。
「ごちそうさまでした」
「はい、お粗末様でした」
手を合わせて、軽く頭を下げる。さて、片付けを始めようかと椅子から腰を上げようとすると、綴が「そういえば」と口を開いた。
「至さんが、この家で初めて作ってくれた夕飯も炒飯でしたね」
綴はその日を思い出したかのように、ふふふと小さく笑った。
「あの時よりは上手くできてたでしょ?」
「そうっすね。今回は、あの時みたいに焦げてなかったですし」
そもそも、二人で一緒に住まないかと持ち掛けたのは俺だった。あれは去年のこと。MANKAIカンパニ-も劇団として結構有名になり、団員希望が増え始めたのだ。話し合いを重ねた結果、寮を出ることが出来る人はできるだけ退寮してもらうということになった。カンパニーを抜けるわけではないし、別にいいかと退寮を考え始めていたのだが、問題は恋人である綴のことだった。もう綴と恋人になってそこそこ年月が経つ。同棲という選択肢があってはいいのではと思う傍ら、綴は俺と一緒に住むことに抵抗を持たないかという不安があった。しかし、告白も初めての夜のお誘いも綴からだったのだ。これくらいは自分から言い出したい、と俺は綴を自室に呼び出した。
「あのさ……退寮の話あるじゃん? もし綴がよければなんだけど、その、俺と一緒に住まない?」
その声は震えていた。俺の横に座る綴の顔を見ることが出来ず、床を見つめる。数秒の沈黙が、俺には何十秒にも何分にも感じられた。
「いいんすか……?」
勢いよく綴の方へと顔を向ける。綴の顔は真っ赤に染まり、俺がそんなことを言うと思っていなかったのか目が大きく見開かれていた。
「その反応は、肯定とみていいってこと?」
俺がそう質問すると、綴の首が縦に振られた。その瞬間、俺は綴を力強く抱きしめていた。そして引っ越し当日。流石引っ越しバイト経験者だけあって、綴はさくさく物を運び、部屋を形成していった。一方で俺はそんな力もないため、自室の整理ぐらいしかできることがなかった。同棲を言い出したというのに、あまり役に立つことが出来なかったということに不甲斐なさを感じた当時の俺は、何を思ったか夕飯は俺が作ると綴に宣言したのだ。そしてその夜作ったのが、焦げてべちゃついた炒飯だった。作っている途中から、あんなこと言わなきゃよかったと後悔し始めていたが、いざ完成品を前にすると、その思いが一層強くなる。これは自分で処理して、綴には何かコンビニで買ってきてもらおうか……そう決意した途端、綴が部屋に姿を現した。
「お、今日は炒飯すか?」
「あ、いやー……ちょっと失敗しちゃったから、綴はなんかコンビニで買ってくるといいよ。金は俺が出すし」
「別に食べますよ。せっかく至さんが作ってくれたんですし」
そう言われては出さないわけにいかない。作った炒飯を机に置き、そして向かい合わせに座ると、各々炒飯を口にした。
「……やっぱ美味しくない」
「でも、初めての炒飯にしては上出来っすよ」
「うーん……でもやっぱ悔しいなぁ」
俺の呟きに対し「気にしすぎっすよ」と綴は笑みを浮かべた。これが、俺が初めてこの家で作った夕飯である。それに比べたら、確かに今日の炒飯はまだマシと言えるだろう。
「でもまだ練習が必要だな」
お皿を洗いながら、ぼそっと呟く。
「ネットとかで探せば、結構いいレシピ載ってますよ」
横でお皿を拭く綴がその言葉に返す。なるほど、確かにレシピを変えるのはいい考えかもしれない。
「まあ、練習するなら至さんの気が済むまで付き合うっすよ……俺たちずっと一緒な訳ですし」
その言葉に綴の方を向くと、綴は少し顔を逸らしていたがその耳は赤く染まっていた。俺は耐えきれなくなり、手に泡が付いたまま綴のことを抱きしめた。
「綴~! 俺お前のこと好き~!」
「ちょっ! 泡がついたまま抱きしめないでください! ってか皿落とすから!」
何気ない日常。特別でもない夜。それでも、こんなにも嬉しくて楽しい。あの時、勇気を振りぼって本当によかった。俺はそんな幸せを噛みしめながら、綴の胸の中で小さく笑った。
はじめましての方ははじめまして。でこマスクと申します。
この度はこのような素敵な企画に参加させていただきありがとうございました。
二人の生活では綴がいつもご飯を作っていそうなので、今回はあえて至さんに作らせてみました。
綴ならきっと喜んで食べてくれると思って……。
執筆しながら改めて、同棲っていいなぁとしみじみしましたね。
幸せな至綴万歳。改めて、主催者様、読者様には多大な感謝を申し上げます。ではまたどこかで。
でこマスク